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娘が生まれる前の私②

私は、今なら分かるんだが、
本当は、集団は苦手なのに、
集団の中に入って
バカみたいなことをして
おちゃらけたりして笑いを取ったりしていた。
みんなが楽しんでくれたらそれでいいとさえ思っていた。

いわゆる「道化師🤡」のように
振る舞っていた。

憧れの先輩の字や、声色を時には真似てみたり、
それで人と触れ合ったり、
色んな人を

演じていたように思う。
でもしっくりこないし、
満たされなかった。

加藤諦三先生の書いた著者
自信の本の中で、
「他人と自分に向かって、自分以外の人間を演じ続けた人は自信は持てない。なぜそうしたか?
それは恐怖心も無価値感だった。
本当の自分には価値がない。そしてその価値のない自分では周囲に叱られると思ってきた。
よい子を演じ続けた」とある。

高校生から、看護の専門学校や看護師に就職してからもそうだった。

自分の感情をいつも抑え込んでいたし、
自分の心の声にいつも蓋をして
嘘をついて生きていた。

とにかくアルコール依存症である父の存在を
家の中で隠し続けて
生きてきたから、
バレないように、
心配されないように

明るく振る舞ってきたんだとおもう。

なぜそんな風に生きてきたんだろう。

本当は
怖かったんだ。
不安だった。。って今なら思えるし、
ちゃんと言える。

いつも父は👨、お酒を飲むと、暴言を吐く。
「お前はだからダメなんだよ!」とか

「お前はバカだな」

「お前にだけは言われたくない。」とか。

そんな風に言われて育つわけだから、
自己肯定感なんて下がるし、
自尊心も下がれば
ものすごい劣等感を持つことになって
無価値感を揺さぶられて、

いつも周りを敵だと思って
人を優劣をつけて生きてきたと思う。
でもこうやって言ってきた
お父さんが1番

劣等感や悲しみや虚しさを味わうことが怖くて
たまらなかったんだろうと今は思う。
相手に暴言を吐いて支配させ、
依存させてたんだと思う。
それでしか
自分の心の守り方が分からなかったんだと思う。

父親の世代の時代は、
男はこうあらねばならない。みたいなのが
強かったのかもしれない。

今は、親との境界線を明確にはって、
物理的にも、精神的にも
距離を取っている。


父親のアルコール依存症を
止めようとは思わないし、
自分で止めようと思えないと変われない病気。
否認の病気だから。
そして
母がそれでも一緒にいたいと思うのなら
そうすればいいとも思う。

子供心に、どうにか辞めさせたいって思って
必死にもがいて
困ってるお母さんを助けようと
お父さんのことで、
家族会に参加したりは、もう今はしない。
自分を犠牲にする生き方はもうやらない。

お父さんの問題はお父さんに返す。
相手の問題は相手の問題で
自分が引き受けることはやめた。
そんな幼少期の自分や今まで生きてきた自分の
生き方を正面から
ぶつかって見つめ直すことになったのが、
娘との出会いだった。

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