笠水彦命と笠水神社

 下の物部氏の系図は末端の守屋までたどることのできる,直系とされる者のみを表示したもので,たとえば伊香色雄命には7人の子があり,その一人の物部十千根には5人の子が…と傍系をとたどれば,ねずみ算並みに子孫が増え,それこそ現代の日本は物部氏の子孫であふれているような様相であることは言うまでもありません。それは海部氏を含むどの氏族も同様です。前回の版では,(d)笠水彦命以降数世代欠落しているのではないかという表記をしましたが,饒速日命直系の82代目宮司が現存すると考える以上,途中で世代が欠落していてはいけません。そこで笠水彦命以降,景行天皇の世代である小登與命に至るまでの6人はひとまず並べ直しました。
 「勘注系図」の注釈によると,神武天皇の即位に際して神宝を献じるため大和に赴いた倭宿禰命が,豊水富(豊御富)をめとって笠水彦命を生んだとあります。神武の熊野から大和への進攻時,宇陀の穿邑から兵を引き連れ吉野へ向かった際,井戸の中から光り輝く人が現れました。神武が「お前は何者か」と問うと,「私は国つ神,名は井光といいます」と答えました。井光は神武に土地を案内し,御船山の尾根にある拝殿で波々迦の木を燃やし,鹿の骨で卦を立てるなどして,神武の勝利を祈願したといわれます。この井光が豊水富に当たります。子の笠水彦命については,「勘注系図」の注釈には「綏靖天皇の時代,天御蔭之鏡を神宝として仕える」と記されています。治世のそれほど長くなかったと思われる2代天皇の時代なので,倭宿禰命の相当若いころの子であったと思われます。
 舞鶴市西部の田辺城から1kmほど南に,この笠水彦命を祭神とする笠水神社があり,次のような逸話が伝えられています。一人の武者修行者が通りかかり,笠をかたわらに置いて休憩しました。そのまま眠ってしまった男は,夢の中で喉の渇きにたえかね,ふと杖を手に持って地面に刺しました。するとわずかな水が湧き出たので,男は笠で水をすくって飲み渇きから解放されました…まもなく目を覚ました男が夢の通り杖で地面をつつくと,そこから本当に水が湧き出ました。思う存分水を飲んだ男は,「この地に宮を祀り,笠水と名づけるように」と藤の木に彫って旅立ったということです。




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