いつだって、承認欲求

マズローの欲求5段階説。
生理的欲求、安全の欲求、社会的欲求、承認欲求、自己実現の欲求。

私の人生は、ずっと「承認欲求」の段階にいる気がする。
厳密に言えば社会的欲求と承認欲求のはざま?のような感じ。

自分自身の目標のためには頑張れないし、もし地球最後の一人になったらさっさと死んでるし、何物にもなれないくらいなら人生なんて早く終わったほうがいい。

最近親しくなった人に、私とは真逆の人間がいる。
mbtiは最初の1文字がかするくらい、ネットに落ちていた「100の質問」を一緒に答えたら、一致したのは「法律がなくなったら?」に対する「銀行強盗」くらいの人。なぜこんなに仲良くなったのかもわからないけど、何となく通ずる部分はあるのか、一緒にいる。

その人は承認欲求とは程遠くて、自己実現のために生きてる、頑張ってる。
がんばること自体が楽しそうで、習慣化されていて、「生きやすそうだな」ってうらやましくなる話は置いておくか。
仕事のストレス発散は仕事らしい。
他のことをしたところで何も解決しないからだって。
まあ確かに、それはそうなんだけどね、そういうことじゃないじゃん?人間って。

でもその人は「今のところ全部正解、人生の選択」って言ってた。君が正解にしたんだよ。
私はね、人生っていうテストが赤点だ。

こんな人もいるんだなあって。
対して私は小さいころから「目立ちたい」欲求に囚われて、いろんなものに立候補して、それっぽいキャラづくりに成功して、勉強も少しだけ出来たから「何でもできる優等生」になれた。

何の意味もなかった。
そうやってつくられた経歴は一見華やかに見えて取っ散らかっていて、「人に評価されるかどうか」だけで意思決定してきたから、やりたいことなんてなかった。
趣味一つとっても、たぶん心の底から好きなものはあんまりなくて、「これが好きな自分」のためにいろんなものを好きになっていた。

ほんとうは全部どうでもいいよ。
明日にでもすべてを投げ出してこの世界からいなくなってしまいたい。
私が一番、私のことを嫌いだし、それはどんなに頑張っても埋められない気がしてるの。どうしてだろうね。

でもね、こんな私でも、大切にしてくれる人がいる。
血のつながりと歩んできた十数年がある人とかね。
その人たち以外にも、なぜか、ほんとうになぜか、どうしてかわからないけど、こんな人間を好いて、一緒にいようとしてくれる人がいる。

消えたいと思う度に、「今できる消え方だと、あの人たちが悲しんじゃうよなあ」とか「来週の分までシフト提出しちゃってるしなあ」とか社会的責任とやさしさ(と呼んでいいのか)で踏みとどまる。
これからもずっとこうなのかなあ。
どこで、間違えたのかなあ。

何の話だっけ。



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