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美唄の民俗学【怪談編1】

私は北海道美唄市出身だが、美唄市はかつては炭鉱産業で栄えたものの国のエネルギー政策の変更によって衰退していった市である。
今はかつての石炭産業の遺構や当時から人気があった美唄焼き鳥に焦点を当てて町おこしを狙っているようだが、それは私にはあまり魅力的に映らない。
それよりも、普通に暮らす市井の人々がどのように暮らしていたのかに興味がある。
つまり、積極的に広報しない、ネットでは情報が出てこないようなローカルな話などに興味がある。
ジャンル的には民俗学になるのだろうか、このあたりに焦点を当てて、私の知りうる限りの話とその考察を記録としてして残していきたい。

何から書こうか迷ったが、メディアなどで何度も取り上げられたこともある美唄国設スキー場裏の沼東小学校の廃墟、通称円形校舎について書こうと思う。
幼少期から美唄に住んでいると真偽は定かではないが、様々な興味深い話をよく聞いたものだ。

円形校舎といえば怪談話が最も有名だと思う。
その内容としては、よく聞くのが赤いランドセルを背負った少女の幽霊が現れるというものだ。

円形校舎の360℃画像や怪談が載っているWebサイトを見つけたので興味があればこちらからどうぞ。
https://touring.hokkaido.world/?p=5807

Webサイトによるとその赤いランドセルを背負った女の子の幽霊は誘拐事件の被害者ではないかという説がある。
他にもその女の子の幽霊が窓からこちらを見ているとか、線香の匂いがしてそれを感じると精神に異常をきたすとか、発狂して林の方に走っていき戻ってこなくなるという話は聞いたことがある。
しかし、誘拐事件の類の話であれば、公式なメディアに記録が残っていたとしてもおかしくないが、そのような事件は見つけられなかった。

円形校舎の方は割と怪談としては最近のものらしい。
昔は、円形校舎の付近には炭鉱病院があったそうで、そこでは幽霊を見たという話が絶えなかったと聞く。
炭鉱では爆発事故も多く、多くの人がこの炭鉱病院に運ばれたという。
その中で亡くなった人も少なくないだろう。
土地柄、そのような噂が発生してもおかしくはない。

ここまで書いてふと、昔聞いた、霊感があるという人の話を思い出した。
その話の内容とは円形校舎は確かに霊的に危険な場所だが、発生源は円形校舎ではなく炭鉱病院あとの土地であるという話だ。
炭鉱病院あとの土地が大元で、円形校舎は大元から流れてきたものを受け取る子機みたいなものであるという。
だから、円形校舎の方をいくらお祓いしても鎮静化することはないということだった。

これらの話を聞いて思ったのが、人の恐怖が土地や建物という形に紐づいてできたのが怪談なのではないかということだ。

炭鉱病院で多くの人の死があった。
死が身近なものだった人々はそれ恐怖した。
しかし恐怖という抽象的なものを理解して適切に取り扱うのは難しい。
例えば心の傷のようなものを抱えている人は、リストカットなど体を傷つけるようなことをしがちだ。
これは心の傷を理解して適切に処置をするのは専門知識が必要なので実際に体の傷をつけて認識しようとするからだとされている。
同じように当時の人々は土地や建物を恐れる具体的な対象として理解し、できるだけ避けようとしたのではないだろうか。
そして、その具体的な場所がなくなっても関連付けされる土地や建物があるかぎり恐怖の対象として形を変えながら口伝されていく。
これが、怪談の正体なのかもしれない。

2000年代に入ってからは、インターネットが普及し様々な情報が集まり、各地にあった怪談が検証され、それらは実在しないということが広まることにより、人々が怪談を信じなくなっていった。
しかし、いわゆる幽霊のような怪談を信じなくなっても、怖いものがいる場所ということだけは残り続けるかもしれない。
そんなことを思わせるエピソードがある。

2000年前半頃だろうか、円形校舎の付近で大麻の取引がされているという噂を聞いたことがある。
だから、美唄警察署のパトカーは何もない山奥にもパトロールに行くのだという話だった。
確かに、山奥で一目につかないのだから違法行為をするには都合がいい場所かもしれないというのも信憑性を高める要因になっている気がする。

人の恐怖を具体的な形にするため土地や建物、幽霊、犯罪者など様々に形を変えながら残り続けていく。
それが怪談の本質であり、その根底にあるのは人の心にある恐怖だと思う。
このような側面から、美唄の人々の間にある噂話などがなぜ生まれたのか考えていくことは私にとって興味深い。
今後も同じようなシリーズを書いていこうと思う。

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