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ぶどう園の労働者のたとえ

マタイ福音書20章には、ぶどう園の主人(神)が、明け方から夕方まで働いた人にも、午後5時から小一時間働いた人にも、その間に雇った人たちにも等しく1デナリオンを支払った、という話があって、これをどう説明するか、皆さんいろいろ苦労しておられるようです。たとえば、小一時間しか働かなかったとしても、例えば何らかの不具合があって働きたくても働けなかったとすれば、それを補償する意味で同一賃金は当然である、といったように・・・しかし、同じ20章の最後の方で、イエスは「君たちの間で一番上になりたいと思う者は誰でも、君たちの奴隷になれ。人の子が仕えてもらうためでなく仕えるために、また多くの人の身代金として自分の命を与えるために来たのと同じように」と言っています。つまり、この世では、宝くじに当たったりして、楽しく生きていくことに意味があるのではなく、他人のために苦労して働くことこそが一番上に立つことである、ということかと。また、19章の最後には、「最初の者が最後になり、最後の者が最初になるであろう」というイエスの言葉がありますが、これもキリストがどこかで言っている「私はアルファでありオメガである」という言葉と一致していると思います。

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