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自由という使命

普段は、自分を大事にすることと、他人のために尽くすこととの間でうまくバランスを取りながら、あるいはそれがあまり問題になることなく生きているわけですが、いい加減に生きるのでなければ、やはり、自分と他者という対極性は大きな問題であるはずです。しかし、考えてみると、これらはいずれも「こうあるべし」という強制であることに変わりないということが分かります。したがって、この対極性を克服して、何か有意義なものにするのは、「自由」であるはずです。
「私が私の命と私の魂を捧げ、それを新たに受け取るので、父なる万有の礎は私を愛するのである。誰も私の命を奪うことは出来ない。私自身が自由にそれを与える。私にはそれを与える自由があり、それを新たに受け取る自由がある。これが私の父が私に与えた使命である。」(ヨハネ福音書 10 章エミール・ボック訳より)
つまり、自由とは人間に与えられた一種の「使命」なのです。自分勝手なのも、他人の言いなりになるのも「強制」に違いはなく、人間としての使命を果たしているとは言えません。「私の命と私の魂」は捧げることによって、はじめて「新たに」受け取る、つまり、「復活」することができるのです(^^)v

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