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乳がん初受診からちょうど1年

ちょうど1年前の今日、私は初めて乳腺外科を受診した。
その2週間ほど前に見つけた胸のしこりがずっと気になって仕方なくて、ようやく意を決して受診したのであった。

その半年前の乳がん検診で5ミリの嚢胞が指摘されていたので、きっとそれだろうと思った。
でも万が一ってこともあるから、とっととハッキリさせようと思った。
触った感じ、5ミリどころか軽く2センチはあるので嫌な予感がしなくもなかった。

病院に向かう途中、もし本当に乳がんだったら自分はこんな若くして死んでしまうのか……という絶望的な気持ちになったりもした。
親より先に逝くなんて絶対にできない、とも思った。

診察室に入り、医師には「嚢胞だとは思うけど……」と伝えた。
しかし医師は触診するや否や乳がんを疑い、翌日に細胞診の予約を入れることとなった。
医師はほぼほぼ乳がんで間違いないだろう、ただし遅すぎることはないので根治を目指せると言ってくれた。

病院からの帰り、呼吸が苦しくなってきた。
ちょうどその頃、心療内科に通っていて抗不安薬を持ち歩いていたため、すぐにそれを飲んで心を落ち着けた。
そして夫に「今日はなるべく早く帰ってきて。ご飯作れないから自分の分だけ買ってきて」と連絡をした。

夫に伝えるときは言葉がなかなか出てこなくて、ようやく「乳がんになったかもしれない」と口に出した瞬間に涙がブワッと溢れ出た。
夫は「病院に行くなんて一言も言ってなかったのに」と驚いていた。
余計な心配を掛けたくなくて、乳がんじゃないって分かってから事後報告をするつもりだったことを伝えた。
夫は「これからは内緒にしないで全部言って」と言って、泣いている私を優しく抱きしめてくれた。

あれからちょうど1年。
その間に私は手術をし、抗がん剤治療を受け、ホルモン療法を始めた。
パワハラ社長からは高額の慰謝料をもらった。
人生初のペットも飼い始めた。
夫は交通事故に遭い、入院・手術をした(今は完全復活)。

そして母が亡くなった。

今日は母の棺に入れたのと同じどら焼きを食べた。
母が施設にいた時、「おやつの時間にどら焼きが出たの!」と嬉しそうに言っていたのが印象に残っていた。
母の写真を見ながら、ゆっくりと味わった。

お母さんも食べてくれた?
おいしかった?
と、心の中で話しかけながら。

ちょうど1年前の今日、「親より先には逝けない」と思っていたのに。

こんなことを思ってしまう。
母はもしかしたら、自分の命を私に捧げてくれたのではないだろうか、と。

だって、今から3ヶ月前には普通にショッピングモールに連れていって、一緒にご飯食べたりしてたのに、こんなに急にいなくなっちゃうなんて。

私の病気を告げてからというもの、母は会うたびに私のことをじっと見つめて視線を逸さなかった。
戸惑ってしまうくらい、私の顔をいつもじっと見ていた。
私を失うことが不安だったのではないだろうか。
もしかしたら、自分の命を分けてあげたいって祈ってくれたりしちゃったんじゃないだろうか。

そうだとしたら、きっと私の病気は母が治してくれたはず。
母が譲ってくれたこの命を大切にして生きていきたい。

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