「クレアの初恋」第2話

「何だ、街を守る魔法壁の一部が崩れている……」

 街の周囲を見回りしていた守衛が、魔法壁の一部が崩壊していることに気づいた。魔法壁とは、街の外部にいる魔物たちが、入って来れないように街の周囲に張り巡らされた結界のことだ。

 魔物たちの侵入を防ぐための魔法壁が崩壊している状況は、かなりの一大事だ。魔物たちが街に侵入し、人々を襲う可能性がある。

 どうなってるんだ。魔法壁の劣化によるものかもしれんな。

 守衛の男は、魔法壁の崩壊した部分に近づき観察した後、すぐに魔物に関する対処を行うギルドに連絡を入れる。

「こちら、東地区。魔法壁の崩壊を確認……。魔物が侵入している可能性が……」

 ギルドにすべてを伝え終わる前に、背後から現れた黒い何かに襲われ、守衛の男はバタリと力なく地面に倒れる。

「どうした!何があった!応答しろ!」

 守衛の持っていた通信機から、ギルドメンバーの声が何度も鳴り響くが、守衛の男は地面に倒れ意識を失っている。

 守衛の男を襲った何かは、四足を使い地面を蹴ると、すさまじい速度で、街の中へと消えて行った。

「くそ、東地区の守衛との連絡が急に途絶えた。これはまずいことになった。魔法壁の崩壊部分から侵入した魔物に襲われた可能性がある」

「魔物が侵入だと!なんてことだ!」

 ギルドでは、急に守衛との連絡が途絶えたことで、騒然となっていた。そんな混沌とした状況に、ギルド長の冷静かつ力強い言葉がした。

「落ち着きなさい!直ちに連絡があった東地区に調査隊を派遣しなさい。魔物の侵入を周知しつつ、街の人々に安全な場所を避難させることを最優先に行いましょう。そして、侵入した魔物の位置と数、種類についても特定できていない。とにかく情報を集める必要があるわ。騒いでいる暇はないわよ。慎重かつ迅速に対処しましょう!」 

 ギルド長の言葉に、先程まで騒いでいたギルドメンバーたちは、冷静になり落ち着きを取り戻す。そこに一人の人物が姿を現し言った。
  
「その件ですが、私にも協力させてくれないかしら」

 ギルドメンバーたちは、姿を現した人物を一斉に視線を向け、予想外の人物の登場に驚きの表情を浮かべる。

「分かったわ。それでは、お願いします」

 ギルド長は、即断しその人物に向かって一言そう言った。

 その頃、クレアは、いつものように、図書館で魔法に関する本を読み、知識を着実に身につけていた。もちろん、知識だけではない。レベッカに協力してもらいながら、実践を積み重ねてようやく基礎的な魔法は使用できるようになった。

 だが、順調に上達したのは基礎的な魔法を習得するところまでだった。中級以上の魔法を習得しようとしても、うまく習得することができないのだ。早くも、才能の壁に阻まれて苦しんでいた。

「何度やってもうまくできない。理論は分かっているのに、実践しようとしたらうまくいかない」

 隣で、クレアが試行錯誤しながら、魔法の練習している様子を見ていたレベッカが、彼女の体調を心配して話しかける。

「最近、根を詰め過ぎじゃない、クレア。そろそろ休みましょう」

 クレアは、左右に首を振り言った。

「レベッカは中級魔法を習得した。私も負けてられない。レベッカは休んでおいて」

 親友のレベッカは、早い段階で中級魔法を難なく習得していた。

 レベッカに負けてはいられない。これ以上、離されたくない。早く中級魔法を習得しなきゃ。

 彼女の中には、中級以上の魔法が上達できずにいる自分に焦りを感じていた。

「分かったわ。だけど、あまり無理はしないでね」

 レベッカは、クレアの焦る気持ちも理解できたため、無理に休ませるということはさせなかった。一人、休憩しに行く。

 レベッカ、気にかけてくれてありがとう。だけど、今の私は、魔法の訓練をすることでしか、この焦る気持ちに蓋をすることができないの。

 クレアは、拳をぎゅっと握りしめると、右手を前に出し左手で右手首を掴んで構える。

「火の妖精よ。我が右手に、火の力を与えよ」

 クレアの右手に、ほんの少し火の玉が出現するが、すぐさま消えてしまう。

 やっぱり、火の玉を保ってられない。火の玉を作り出す自分の姿をイメージできない。

 と、クレアは吐息を漏らし落ち込んでいると、レベッカの鬼気迫る声が轟く。

「クレア!!!」

 レベッカのただならぬ声に、クレアは彼女になんだかの危険が迫っていると直感した。すぐさま、レベッカの声がした方向へと駆ける。

 この角を曲がったところだ。嫌な予感がする……。

 クレアは、胸騒ぎがしながら目の前の建物の角を曲がり、目撃する。

 彼女の視界に映されたのは、四足で立ち、3つの頭がある巨大な獣がレベッカに今にも襲いかかろうとしている光景だ。
  
 その魔物を見て、クレアの中に、図書館で見た本の記憶が頭を過る。

 この魔物はケルベロス。とても獰猛な性格で、容赦なく人を襲う……。

 クレアは、隅の方で逃げ場を失い、恐怖で腰が引けて動けなくなっているレベッカを見てかつて魔物に襲われた時の自分とその姿を重ねる。

 森の中、ゴブリンに襲われた時、誰かに助けてほしくて、必死に叫んだ。助けなきゃ。あの時の勇者様のように。
 
 クレアは、右手をケルベロスの方に向けて呪文を唱えた。
 
「火の妖精よ。我が右手に、火の力を与えよ」

 すると、右手のあたりに火の玉が生成される。今回は、今までないくらい火の玉が安定している。すぐに消えることはない。

 行ける。今なら、火炎魔法を放てる。

 クレアは、深呼吸をして意識を集中させると、魔法で生成した火の玉をケルベロスに向かって勢いよく放った。

 当たれ!絶対にレベッカを救うんだ!

 ケルベロスは、レベッカを標的にしていて、クレアの方を見ていない。無警戒のケルベロスに、クレアの放った火の玉が直撃する。

 だがーー。

 火の玉は燃え上がることなくケルベロスの身体に直撃した直後、消えてなくなった。火の玉が当たったところには、かすり傷一つついていない。

「な、なんで……」

 クレアは、鼻が効くケルベロスが自分の存在に気づいていないのか不思議だったが、ようやく理解した。ケルベロスは、自分の存在に気づいていたが、脅威の対象としては認識されてはいなかったのだと。

 ケルベロスはクレアの方を見ることなく、腰を引けて動けなくなったレベッカを食らおうと鋭利な牙をむき出しにしながら、ゆっくり顔を近づける。

「やめてぇええええ!!!!」

 クレアは、何度も火の玉を生成してケルベロスに攻撃を加えるが、どれもこれも傷を与えるほどの威力はなかった。相変わらず、ケルベロスはレベッカを食らおうとすることをやめない。

 クレア……私もあなたが私の親友で良かった。

 かつて言われたレベッカの言葉が蘇っていた。レベッカは、ケルベロスに食べられる直前、クレアの方を見る。恐怖で怯えた表情ではなく自らの死を悟ったような表情を浮かべている。

「ありがとう」
 
 クレアは、そんなレベッカの言葉を聞いた直後、涙が溢れ出て頬を伝う。

「レベッカ!!!」

 悲しみで震えたクレアの叫び声が、静寂した空間にやたらと鳴り響く。

 グシャ。

 そして、その叫びを無に帰すように残酷な音がした。

 私が……私が魔法使いなんかになろうと思ったからだ。私の魔法の練習に付き合わなければ、レベッカは魔物に襲われずに済んだのに……。

 クレアの瞳から溢れた涙が、ぽたりと落ちて地面を薄暗く染める。

 レベッカとの日々が、走馬灯のように次々と思い出されていく。そのどれもが、楽しくて、明るい日常の一部だ。

 視線を前に向けると、血を流しながら倒れる親友の姿があった。クレアは目の前の光景に息が乱れ、心臓が狂ったように鼓動する。

「まだ、彼女は助かる。あの子の治療をしてあげて。私はこの魔物の相手をする」

「えっ!?」

 レベッカの倒れる光景を見て、平常心を失っていたクレアは、女性の声に正気を取り戻し、目を大きく開く。

 魔法使い……マリナさん。

 クレアが突然の魔法使いマリナの登場に驚きを隠せないでいると、レベッカに噛みついたケルベロスの頭の首が横にズレてべチャリと地面に落下する。

 ケルベロスは、頭の一つが切断されていたことに気づき、四足を上げ下げして慌てふためく。それを平然と見つめるマリナの様子を見て、クレアは目にも止まらない速度でマリナが魔法を行使してケルベロスの゙頭の一つを切断したのだと察した。


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