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樹堂骨董店へようこそ⑦

「おや、菊乃さんお久しぶり」
イツキはドアを閉めると、足早にデスクの上の資料を手に取りソファに座った。テーブル越しに女性がひとり座っている。閉め忘れたカーテンの向こうは夜の暗闇だった。
菊乃は上品なタータンチェックのストールをまとっていた。合わせ目にはバラのモチーフのアンティークなブローチがついている。50代くらいに見えた。少し瞳がグレーっぽいブルーに見えた。不思議な雰囲気が漂う。
「久しぶりねイツキさん。また来ちゃったわ」
「毎週お会いできてうれしいですよ…」
イツキは手元の資料を見た。菊乃は半年前から来ているお客だ。
「ええ。あれからずっと家にいたんですけど、もう行こうと思っているんですよ」
「行かれるんですか?」
イツキは反応して顔をあげた。
「ええ。もう思い残すことは何もなくなってしまって…」
「思い残すことがないというのは、悪いことではありませんが、名残惜しいですね…せっかくお知合いになれたというのに」
「あら、そんなお世辞みたいなことおっしゃらなくていいんですよ。こんな死んだ者がいつまでもここにいても仕方無いんですもの」
菊乃の体の表面がちりちりと光を発し始めた。弱いけれど体の輪郭が光を帯びるたびに曖昧になる。
菊乃は半年前に突然死していて、自分の死を受け入れられずさまよっているところに、偶然イツキと知り合ったのだ。毎週のようにイツキに会っては悩み事や悔やんでいることなどを相談していた。

「荷物がなくなった部屋にずっといたら、新しい居住者が入って来たんですよ。その方ね、すごく若い女の子で一人暮らしが初めてみたいなんだけれど、自分がおかあさんになった気分になれて楽しかったわ」
菊乃は独身だった。医師をしていた。普段、家にいることがなかったから、家にいることがどうしてもしてみたかったという。
「おかあさんですか。いい経験をされましたね」
「ええ。なんとなくそれとなく掃除したりいろいろ」
しばらくしたら、その子は次第に一人暮らしが上手になってきて菊乃の出番はあまりなくなっていったという。
「そうしたら、ああ卒業だわってすごく実感してしまって。でも最後にどうしてもイツキさんにお会いしたくて来てしまいました」
菊乃は先ほどから体全体が色薄く見えたり、元に戻ったりを光を発しながら繰り返していた。
「うれしいですよ。見送りに私を選んでくださるとは」
菊乃は立ち上がった。イツキも立ち上がる。菊乃は深く会釈した。
「ありがとう。あなたなら、この後もいつでもお会いできるわ。ふふふ」
そう言うと一瞬で菊乃の姿が消えた。
さきほどからそこに、何もなかったかのように。
「菊乃さん、またお会いしましょう」
イツキは誰もいないソファに向かって会釈をした。

イツキは亡くなった者と会話をすることができる。






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