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ためちゃんと私の地球生活日記⑰

目に見えないもの。
この世界でカラダを持たずに存在しているもの。
人はそれをいろいろな呼び方をしている。ホントのところはそれがなんなのかなんて、生きているモノにはよくわからないと思う。中にはわかってしまう人もいると思うけど、ごくわずかだと思う。私にもよくはわからない。

人は誰でもあっちの世界とこっちの世界の両方で生きていると私は感じる。でも、それを感じる人は少ない気がする。ぜんぜん関心がなければどうでもいいことだし、関心あっても人間の世界に寄り添って生きればアチラの世界の感性は息をひそめるから。

そういうことのすべては罪でも悪いことでもないし、良いことでも善と言われることでもない。と、私は思っている。どっちをどれくらいのバランスで選んでいるのかということだけ。それはお好みで勝手にやってていいことだと、私は勝手に思っている。

「人間という生命体になったことがあるモノ」は人間の気持ちがわかりやすいと思う。話が通じるはず。人間らしい感性は人間を経験したモノしか手に入れられない。もちろん、こういう感じだよね?は学ぶことができるかもしれないけれど、リアルに理解するには「人間という生命体をやってみる」しかない。

そして
人間を経験したことがないモノは、人間の暮らしを見ても「ふーん、そういうものなんだね?」という感覚にしかとらえない様子に私には感じる。
それが、経験してないモノの正直な感想みたいだ。もちろん、人間を理解してみたいと思ってくれるモノもいれば、関心ないです…というモノもいる。好みなのでさまざま。

だからすべての目に見えないモノが、人間を理解してくれている、話が通じると思うのは違うなぁ…と私は思う。逆をいえば、人間になっているあいだは、目に見えないモノすべての存在や彼らの感性を100%理解することなんてできないと私は感じている。

人間として生きるうえではどうでもいいことなんだけれど、いろんな話を聞いたり見たりしていると私はそこに違和感を感じてしまう。
でも、そういうことについてどう考えるのかは自由に決めていいことだから私は何も言わない。
でも、もし聞かれたら私は〇〇と思うよと伝える。でもたいていは受け入れてもらえない。それすらも、自由に選んでいいことだから私は何も言わない。「そうか、そう思うんだね」と感じるだけ。
ちょっとさみしいけどね。





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