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ためちゃんと私の地球生活日記⑯

創作を書きます。フィクションです。よかったら読んでください。

私は自分がちょこっとでも写っている写真や、リアル猫さまや家の中の写真をsnsにほとんど投稿しないのですが、その理由について書いてみようと思います。

ごくたまに、うつらうつらうたた寝をしている時に知らない人の顔が脳裏に浮かぶという変なクセがあります。全く知らない人で、写真を見るようにリアルに見えるのですが、あまりにも見覚えが無いのでかなり「ぞっ」とします。
たとえば以前こんなことがありました。賃貸マンションの内覧をしている時に開放した窓からくる風と明るい日差しがとても気持ちよくて、ちょっと椅子に腰かけてたら、疲れていたこともあってうっかり居眠りしかけたことがありました。意識が遠くなっていくときに、ものすごくリアルにふたりの人間の顔が見えた。中年男性と中学生くらいの女の子だった。リアルすぎて怖くてパッと目が覚めたんだけれど、ひょっとしたらそれは以前この部屋に住んでいた人たちかもしれないことがわかりました。隣室の住人の方に教えてもらったからです。

こういうことが始まってから、起きている時でもリラックスしていると、まったく知らない人や、知っている人の顔が急に脳裏にパッと浮かぶという現象がごくたまに起きるようになりました。

その場所、モノなどにくっついた「残っている何か」もしくは「リアルタイムに送られてきたなにか」をたまたま体調などで波長が合ってしまった時に映像としてキャッチしてしまうもののようです。いつも見えるわけじゃないです。何も感じない時の方が多い。なので、見ようとしても見えないし、見えないようにしようとしても見えてしまうという、まったくコントロールの効かない状態です。そうなってくると「なんなんだよ一体…」という気持ちになってきます。

そんな中で「写真」というアイテムは強力です。
なぜかというと写真の中にその時のその場所やそこにいる人のいろんな情報がいっぱいつまっていて、波長が合ってしまえば、合っている分だけ情報が私の中に流れ込んでくるからです。
写真を撮っている人の気持ち、写真に写っている人の気持ち、写っている場所で昔あったかもしれないことなどなど…
これは、とてもいい気分になる時ととてもイヤな気分になる時があります。写真ってほんとうにその時その場所にまつわるいろんなものを切り取って保存しておけるものと、私には感じてしまう。

こういう私がいるのだから、同じような感覚を持っている人は必ずいると思う。しかも…わりとけっこういると思う。なぜかというとちゃんと根拠があります。ちょっと長くなるからまた別の記事で書きます…いつ書くかわからないけれど…
そういう理由で、写真見たらいろんなことに気付いてしまう人も中にはいるだろうなと思うのです。
そんなわけで、リアルな写真はsnsにあまり載せないようになってしまいました。ホントはイラストとかにもそういう情報は乗ってしまうけれど、イラストはどちらかというと私の内面がたくさんでてしまうので、もっと恥ずかしいけど…もうそれはそれだ!と割り切るようにしています。






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