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$プロ車椅子テニス 国枝慎吾


$プロ車椅子テニス 国枝慎吾

昨日より今日。今日より 明日、進化する。

国枝 慎吾選手

プロ車いすテニスプレーヤー
9歳の時に脊髄腫瘍のため車いす生活に。11歳から車いすテニスを始める。2004年のアテネ大会では、齋田悟司と組んだダブルスで金メダルを獲得。2007年に車いすテニス界史上初の年間グランドスラムを達成する。2008年北京、2012年ロンドン大会のシングルスで金メダルを獲得。その後、ケガを乗り越え、2016年のリオ大会はダブルスで銅メダル。2018年は、全豪、全仏で優勝し、2016年1月以来の世界ランキング1位に返り咲いた。プロ宣言は2009年。ユニクロ所属。(2019.4)

5度のシングルス年間グランドスラム達成
今なお進化し続ける

日本が誇るトッププレーヤー国枝慎吾。その国枝にとって2015年は、自身の「進化」を実感するシーズンになった。1月の全豪オープンで8度目の優勝を飾った後、シングルスの連勝記録を伸ばし続け、全仏、全米オープンでも頂点に立った。自身5度目となるシングルスの年間グランドスラム達成という快挙。その前人未到の輝かしい戦績もさることながら、注目したいのは、世界のトップに君臨してなお“スケールアップ”に取り組む、その真摯な姿勢だ。

“パワーテニス時代”と言われる男子の車いすテニス界では、サーブが重視される傾向にある。国枝はもともとコントロールが抜群でサービスエースの数も多いが、サーブのスピードだけなら他にも優れた選手がいる。そこで、今年から一連のサーブ動作の改良に着手。威力とバリエーションを増やすことに成功した。さらに、過酷なトレーニングで最大の武器である俊敏なチェアワーク(車いす操作技術)にも磨きをかけた。技術面の引き出しが増え、戦術のアイデアもより自由度が増した。強く、かつ柔軟にコートを支配し続ける王者のパフォーマンスは、「打倒クニエダ」を掲げるライバルたちにさらなるプレッシャーを与えたことだろう。

車いすテニス選手にとって、目指すべき世界最高峰の大会はパラリンピックである。つまり、リオを翌年に控えた今シーズン、ライバルたちも最高の舞台を見据え、心身ともに少なからず強化を図ってきたはずだ。だが国枝は、前述のようにその挑戦を鮮やかにはねのけた。

「結果はもちろん、内容が良かった点に満足しています。たとえビハインドな展開でも、このテニスを続けていれば最終的には勝つだろう、と思える状況になっている。自分のベストゲームがどんどん更新されていくという成長段階に、また入り始めたなと感じます」と、力強く話し、究極のステージに辿り着いた自信をのぞかせる。

(上記の記事は、このサイトより引用・編集)



国枝 慎吾(くにえだ しんご、1984年2月21日 - )は、日本の元プロ車いすテニス選手。ユニクロ所属。

グランドスラム車いす部門で、男子世界歴代最多となる計50回(シングルス28回、ダブルス22回)優勝の記録保持者。年間最終世界ランキングでは1位を10回記録している。

また、生涯ゴールデンスラムを達成している。

シングルスでは、年間グランドスラム(3冠)を計5回達成し、ダブルスではキャリアグランドスラムと4大会連続優勝を果たしている。

パラリンピックでは、金メダルをシングルスで3個、ダブルスで1個獲得。5大会連続(2004年アテネ2020年東京)でメダル獲得をしている。

2023年1月22日に、世界ランキング1位のまま現役引退を表明した。

同年3月3日日本国政府は国枝に対して国民栄誉賞を授与することを閣議決定し、同日発表した。
(上記のウィキペディアより引用・編集)




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