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$日本侠客伝 高倉健生誕90年

$日本侠客伝 高倉健生誕90年

$日本侠客伝シリーズ

日本侠客伝』シリーズ(にほんきょうかくでんシリーズ)は、高倉健主演で、東映によって制作されたヤクザ映画シリーズ。全11作。東映京都撮影所製作。『網走番外地』シリーズ、『昭和残侠伝』シリーズと並ぶ高倉健の代表的シリーズである。なお、シリーズとされているが各作品の設定やストーリーに繋がりは無い。

概要

高倉健の人気を決定的なものにした東映任侠映画長期シリーズの草分け的存在[3][4][5]。1964年から1971年にかけて11本が製作され、第1作から第9作までをマキノ雅弘が、その後、山下耕作小沢茂弘が1作ずつ監督を担当した。また笠原和夫が共作と単独で8作品の脚本を担当している(中心は笠原)。東京の下町地方都市を舞台に"いなせ"の世界に生きる堅気の職人や博徒と、彼らを脅かす新興やくざや悪徳業者との対立がドラマの主軸となり、主人公・高倉健はやくざの本道を守る任侠の士として敵対する組織と闘う。ここには、"やくざの稼業をやっていても、やくざの生活はするな"というマキノ流の任侠道が脈打ち、マキノ演出の妙が遺憾なく発揮されている。シリーズ初期の作品は任侠映画の基本パターンを定着させるとともに、高倉の人気を決定的なものにし、『網走番外地』、『昭和残侠伝』など、後続のヒット・シリーズを生み出す端緒ともなった。

製作経緯

1963年沢島忠監督、鶴田浩二主演による『人生劇場 飛車角』で、東映東京撮影所(以下、東撮)を任侠路線への転換を図った東撮所長・岡田茂(のち、同社社長)が、翌1964年2月、東映京都撮影所(以下、京撮)所長に復帰、東撮の任侠映画と一線を画す、時代劇の侠客ものを現代劇にアレンジした映画を製作しようと考え、京撮に於ける任侠路線第一弾鶴田浩二主演「博徒シリーズ」に次ぐ第二弾として本作を企画した。
岡田は『人生劇場 新飛車角』の脚本を書かせた笠原和夫を呼び、仁侠映画の本命とも言うべき企画を考えるよう指示。笠原は二種類の企画を提出し、一つは黒澤明監督の『七人の侍』を下敷きにした、ばらばらになっていた七人のやくざが集まって来て、大きな組に押しつぶされようとしている仁義に厚い小さな組を救う話、もう一つは親分を殺され、解散同然に追い込まれた組の組員が我慢に我慢を重ね、ついに決起し強欲なライバルに復讐する忠臣蔵的なストーリーだった。
岡田は迷うことなく忠臣蔵を選び、これが『日本侠客伝』となる。笠原は『七人の侍』の方をしたかったが、これは1966年に『博徒七人』『お尋ね者七人』として世に出た。『日本侠客伝』の最初のタイトルは『大侠客』であった。『日本侠客伝』という題名は俊藤が付けたと著書で書いているが、岡田が前年『人生劇場 飛車角』二本の後、石井輝男に『昭和侠客伝』を撮らせていて、岡田が題名を先に付け「昭和侠客伝、ええやろう」と言っていたという。

京撮所長に再び戻った岡田は不振の時代劇を横目に、仁侠映画路線への転換を目指し仁侠映画を興行の重要週間に配していく。1964年7月鶴田浩二主演の『博徒』に続いて8月に公開されたのが本作であった。岡田は仁侠路線となっても、沢島忠中村錦之助を大黒柱に据えるつもりで『日本侠客伝』も、錦之助主演で企画を進めていた。ところがこの二人は任侠映画があまり好きではなかった。錦之助は田坂具隆監督の『鮫』の撮影が長引いていると話し、『日本侠客伝』には出演する気がないと判断した岡田は『人生劇場 飛車角』で宮川役を好演した高倉健を主役に抜擢。岡田は高倉の育ての親であった。
一部の文献に「高倉の主役抜擢は俊藤」と書かれた物があるがそれは考えにくい。高倉は岡田の企画したギャング路線で売り出し中だったとはいえ、これといった大ヒット作がなく、いまひとつパッとせず。またギャング路線は関西ではさほどヒットしておらず、東撮育ちで京撮に馴染みのない高倉に京撮の活動屋たちは、錦之助に出演を断られた無念さが膨れ上がっていた。
いまでこそ高倉は仁侠映画の大スターであるが、東撮育ちでギャング映画や美空ひばりの相手役の多かった高倉は、日本刀を持って切り込む姿が、まるで野球選手バットを振り回しているようでマキノ監督も俊藤浩滋も頭を抱えた。これを受け岡田と俊藤は「やはり錦之助さんに一枚かんでもらおう。高倉では任侠の雰囲気が出ない」と笠原に錦之助が脇で出るシーンの書き足しを頼んだ。当然錦之助は出演を拒否したが「岡田さんが東撮から京都に戻ったら、岡田さんの企画する映画に必ず出演させてほしい」と書いた錦之助の古証文を持ち出し苦しい説得をした。このため第一作のみ錦之助が出演している。高倉がまだ主演級でないため、錦之助が主演のように書かれるケースもあるが、錦之助の撮影は僅か2日間であった。やくざ映画を厭がっていた錦之助だが、いったん出ると決まってからは、徹底して役柄を研究して撮影に挑んだ。錦之助が実に秀逸な残侠像を見せて、以来、ゲストスターの途中殴り込みがこの種の映画のパターンとなった。
死を覚悟で仇の組に乗り込んで切りまくる錦之助の芝居は見事なやくざの芝居だったが、俊藤らが懸念していた高倉の芝居に新しい若い観客が予想外の反応を見せた。兵隊帰りの深川木場とび職人を演じた高倉の、様式美よりもリアリスティックで粗削りの侠客の姿に圧倒された。結果、映画は大ヒットし、それまで人気が燻っていた高倉は一気に東映の大看板になった。高倉は三白眼が邪魔になって、もうひとつ人気が伸びなかったが、やくざに扮して初めて"その処"を得たのである。
"目千両"というが、"目つきの悪さ"で一代の財を築いたのは、高倉を措いてほかにない。錦之助の任侠映画出演は本作一本のみ。"この後岡田が京撮のリストラと仁侠路線を強化したことで、岡田が仁侠路線のエースコンビと期待していた沢島と錦之助は仁侠映画を嫌い、この後東映を退社した。京撮内には岡田や俊藤に反撥する者も多かった。俊藤は「錦之助が『日本侠客伝』に主演していれば、彼の映画スターとしての道は全く違っていたんじゃないかと思えて残念なんです」などと述べている。「日本侠客伝シリーズ」は「博徒シリーズ」と共に二大シリーズとして、出発したばかりの任侠路線を支えることになった。また高倉の台頭により看板スターは時代劇黄金期から一新され、鶴田浩二・高倉健を頂点に、その脇役から藤純子若山富三郎菅原文太らが次々と一本立ちし、再び磐石のスター・ローテーションが形成されることになった。
(@https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BE%A0%E5%AE%A2%E4%BC%9D%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BAサイトより引用・編集)

日本侠客伝 [DVD]

高倉健 (出演), 三田佳子 (出演), マキノ雅弘 (監督) 形式: DVD

商品の説明

【解説・ストーリー】
江戸っ子健さんに、錦兄ィが惚れた。稲妻のような、獅子のような男の中の男! 無法者たちに蹂躙されようとしている深川木場にあって、一命を賭けて秩序を守ろうとする昔気質の侠気と意地に生きる男たちの姿を、凄絶なアクションを織り込んで描いたマキノ雅弘・高倉健、「やくざ美学」と評された名作シリーズ記念碑的第1作。

【キャスト】
高倉健、三田佳子、藤純子、松方弘樹、中村錦之助

【スタッフ】
企画:俊藤浩滋、日下部五朗
脚本:笠原和夫、野上龍雄、村尾昭
撮影:三木滋人
美術:鈴木孝俊
音楽:斉藤一郎
監督:マキノ雅弘

【公開日】1964年8月公開

【スペック】
●映像特典
◆フォトギャラリー
◆予告篇

DUTD02574/COLOR/本編98分/片面2層/1.主音声:モノラル/16:9 LB(シネスコ)

【販売元】東映株式会社【発売元】東映ビデオ株式会社

登録情報

  • アスペクト比 ‏ : ‎ 2.35:1

  • メーカーにより製造中止になりました ‏ : ‎ いいえ

  • 言語 ‏ : ‎ 日本語

  • 製品サイズ ‏ : ‎ 25 x 2.2 x 18 cm; 83.16 g

  • EAN ‏ : ‎ 4988101160334

  • 監督 ‏ : ‎ マキノ雅弘

  • メディア形式 ‏ : ‎ ドルビー, 色, ワイドスクリーン

  • 時間 ‏ : ‎ 1 時間 38 分

  • 発売日 ‏ : ‎ 2014/12/5

  • 出演 ‏ : ‎ 高倉健, 三田佳子, 藤純子, 松方弘樹, 中村錦之助

  • 販売元 ‏ : ‎ TOEI COMPANY,LTD.(TOE)(D)

  • ASIN ‏ : ‎ B005FCX6U4

  • 原産国 ‏ : ‎ 日本

  • ディスク枚数 ‏ : ‎ 1

$視聴者レビュー引用・編集
高倉健33歳の時の映画です。若い時から二枚目だったのですね。
特にあの眼光の鋭さは、当時から備わっていたのです。
ストーリィ自体は敵対する組織からの嫌がらせに対して、我慢に我慢を重ねて、最後に爆発する、と言ういつものわかり易いパターンです。
単純だけど勧善懲悪の日本映画らしいものです。
ただ、松方弘樹の若い姿(当時22歳)は、あまりカッコ良くないな。
萬屋錦之介の眼光は、流石に筋金入りの凄さがあります。




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