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$シャーロック・ホームズとジェレミー・ブレット 単行本 モーリーン・ウィテカー (著), 日暮 雅通 (監修), 高尾 菜つこ (翻訳)


$シャーロック・ホームズとジェレミー・ブレット
単行本
モーリーン・ウィテカー (著), 日暮 雅通 (監修), 高尾 菜つこ (翻訳)

$解説
ホームズ俳優としてのブレットを知るためには最適の書
日暮雅通氏(英米文芸翻訳家)

映像の世界でも愛され続ける名探偵ホームズ。数々の名作が存在するなか、決定版ともいえるホームズを演じたのがジェレミー・ブレットである。作品について本人・共演者・制作陣の言葉と、百点以上のカラー図版とともにたどる。

多くの人々にとって、ジェレミー・ブレット(Jeremy Brett, 本名:Peter Jeremy William Huggins, 1933年11月3日 - 1995年9月12日) は、イギリス俳優

来歴・人物

生い立ち

イングランドウォリックシャー州(現在はウェスト・ミッドランズ)バークスウェルに、州地方長官の息子として生まれる。出生年月は諸説あり、1933年11月3日または12月3日に生まれたとされるが、1935年に生まれたとの出典も存在する[1]

四人兄弟の末っ子であり、ブレットは幼少期から歌を歌ったり演劇を観るのが好きで、8歳の頃から俳優になりたかったと話している[2]

一族は食品会社キャドバリー社の経営者一族であったため、ブレットは恵まれた環境で育った。パブリック・スクールの名門イートン校に進むが、在学中はディスレクシアのために苦労したという。

親戚に、イギリスの国民的人気ドラマ『ドクター・マーチン英語版)』の主役として有名なマーティン・クルーンズ英語版)がいる。

舞台・映画での活動

セントラル・スクール・オブ・スピーチ・アンド・ドラマで演技を学び、1954年マンチェスターで初舞台を踏む。俳優となったことでの家名の不名誉を避けるべしとの父の要求により、初めて着たスーツのラベルに書かれていた「Brett & Co.」という店名に因み「ジェレミー・ブレット」という芸名を名乗る。1956年には『リチャード2世』のオーマール公役でブロードウェイに進出した。

1958年に女優のアンナ・マッセイ(俳優レイモンド・マッセイの娘)と結婚したが、1962年に離婚。ブレットが男性と不倫して自分のもとを離れたためだとマッセイは主張している[3][4]。マッセイとの間に生まれた息子のデイヴィッド・ハギンズはイラストレーター小説家となった。

1967年から1971年にかけて、当時ローレンス・オリヴィエが率いていたナショナル・シアター・カンパニーに参加し、シェイクスピア作品をはじめとする多数の舞台に出演している[5]

ブレットは1960年代から多くのテレビドラマにも出演した。初期に主演したものでは、『Armchair Theatre』(ITV)シリーズで放送された『ドリアン・グレイの肖像』(1961年)は特に評価が高く[6]、その後のブレットの華々しいキャリアを指し示すものとなった。さらに、1966年BBC版ドラマ『三銃士英語版)』でのダルタニャン役や、ローレンス・オリヴィエがシャイロックを演じた1973年ATV版『ヴェニスの商人』でのバサーニオ役などが有名である。

映画では、アメリカイタリア合作でトルストイの原作を映画化した『戦争と平和』(1956年)に出演。ナターシャの兄役として、オードリー・ヘプバーンヘンリー・フォンダと共演している。

最も知名度の高い映画への出演としては、1964年の映画『マイ・フェア・レディ』がある。ブレットはオードリー・ヘプバーン演じる主人公に思いを寄せる若き貴族フレディを演じた。ちなみに、フレディがイライザの住む家を見上げるシーンで、有名なナンバー「君住む街角」(On the Street Where You Live)が歌われている。ただし、ブレット自身の歌声も美声ではあるが、ここでの歌はビル・シャーリー英語版)による吹き替えである。

1969年の映画『女王陛下の007』ではジェームズ・ボンド役の候補に名前が挙がるが、結局ジョージ・レーゼンビーがボンド役を獲得した。また、『007 死ぬのは奴らだ』のオーディションも受けたが、結局ボンド役を得ることはなかった。

1971年には、イギリス=アメリカ合作映画の『ニコライとアレクサンドラ』に、クレジットはされていないもののロシア人の軍人役で出演している。

1976年、7年間交際していた俳優のゲイリー・ボンド英語版)と破局し、アメリカ人プロデューサーのジョアン・ウィルソンと再婚する。1973年から1978年にかけては俳優のポール・シェナー英語版)とも恋愛関係にあった。

結婚後にはアメリカに移住し、『The Love Boat』(1977年 - 1986年)や、『超人ハルク』(1977年 - 1982年)、『Hart to Hart』(1979年 - 1984年)、『宇宙空母ギャラクティカ』(1980年)などの人気ドラマシリーズにも出演した。アメリカでの知名度と人気の上昇は、アメリカでの放送も念頭に置かれて企画されたグラナダテレビ制作の『シャーロック・ホームズの冒険』主演への抜擢にも繋がっていくことになる。

10年間の結婚生活の後、1985年7月にウィルソンが癌で亡くなった後は再婚することはなかった。1988年12月のTVTimesのインタビューでブレットは「Joan was my confidence and without her there was no reason to go on.(彼女は私の自信だった。彼女なしでは人生の意味を持てなかった)」とその深い悲しみを語っている。

1978年、アメリカでの舞台『ドラキュラ英語版)』の主役に抜擢されて大きな成功を収めた。ブレットは血を求め女性を誘惑するドラキュラ役であり、役に完全になりきった風貌と演技で各地の女性たちを熱狂させた。ロサンゼルスサンフランシスコシカゴでの巡業で絶賛され、それまでで最高の売上記録を更新した。

1979年には、BBCのドラマシリーズ『レベッカ英語版)』で主演を務め好評を博した。ちなみにこの時のヒロイン役はジョアンナ・デヴィッドであり、グラナダ版『シャーロック・ホームズの冒険』の最終回となった「ボール箱」(1994年)に出演し、ブレットとの再共演を果たした。

1980年にはロサンゼルスでの舞台『シャーロック・ホームズ 探偵物語 血の十字架英語版)』でジョン・H・ワトスンを演じた(シャーロック・ホームズ役はチャールトン・ヘストン)。

シャーロック・ホームズ>

>舞台や映画などで幅広く活動を展開したブレットだが、1984年より放映されたグラナダテレビ版(日本ではNHKで放映)の『シャーロック・ホームズの冒険』(全41話)でのシャーロック・ホームズ役が特に有名である。

原作からイメージされるホームズの風貌や仕草、性格を完璧に体現し、これ以上のハマり役はいないと高く評価された。ブレットのホームズは史上最高であると高く評価されており、伝説のホームズ俳優であるウィリアム・ジレットや、イギリスのホームズファン協会の公認する唯一の俳優といわれたピーター・カッシング、数多くの映画でホームズを演じたベイジル・ラスボーンをも凌ぐとされる。アメリカの著名な演劇評論家であるメル・ガッソウ英語版)は「息を呑むほどの分析力、奇怪な変装術、落ち着いた雰囲気、複雑極まりない事件を解決するという熱意。ブレットこそは理想的なホームズである」とブレットのホームズ役を絶賛している。

また、視聴者や批評家たちを驚かせたものには、ブレットの類いまれな運動能力もあった。ブレットの演じるホームズは乗馬をこなすだけでなく、ソファを飛び越えたり、壁をよじ登ったり、あるいは高い橋の欄干をガードもなく歩いていたりする。こういった魅力的なシーンは、『シャーロック・ホームズの冒険』が語られる際に常に言及されている。は今なおイギリス、ITVネットワークのグラナダ版〈シャーロック・ホームズ〉シリーズで描かれたホームズそのものであり、実際、この役でしか彼を知らない人もいる。ユニークな名探偵を演じた彼の華々しい成功は、50年前のベイジル・ラスボーンがそうだったように、彼をこのキャラクターと永遠に結びつけることになった。
>(本文より)

●目次

 まえがき デビッド・バーク
 はじめに

シャーロック・ホームズの冒険 第1シリーズ
  ▸美しき自転車乗り
  ▸まだらの紐
  ▸海軍条約事件
  ▸ボヘミアの醜聞
  ▸踊る人形
  ▸まがった男
  ▸青い紅玉
 
シャーロック・ホームズの冒険 第2シリーズ
  ▸ぶなの木屋敷の怪
  ▸ギリシャ語通訳
  ▸ノーウッドの建築業者
  ▸入院患者
  ▸赤髪連盟
  ▸最後の事件
  ジェレミーとジョーン

シャーロック・ホームズの生還 第3シリーズ
  ▸空き家の怪事件
  ▸プライオリ・スクール
  ▸第二の血痕
  ▸マスグレーブ家の儀式書
  ▸修道院屋敷
  ▸もう一つの顔
  ▸六つのナポレオン

シャーロック・ホームズの生還 第4シリーズ
  ▸四人の署名
  ▸悪魔の足
  ▸銀星号事件
  ▸ウィステリア荘
  ▸ブルース・パーティントン設計書
  ▸バスカビル家の犬
  ▸アビーの財産事件
   (1988年)ショート・フィルム
  ▸シャーロック・ホームズの秘密
   (1988年)ウィンダムズ劇場

シャーロック・ホームズの事件簿 第5シリーズ
  ▸レディー・フランシスの失踪
  ▸ソア橋のなぞ
  ▸ショスコム荘
  ▸ボスコム渓谷の惨劇
  ▸高名の依頼人
  ▸這う人
  ジェレミー

シャーロック・ホームズ長編三部作
  ▸犯人は二人
  ▸サセックスの吸血鬼
  ▸四本の樫の謎
   (1992年)テレソン
  ▸未婚の貴族
  ジェレミーとリンダ

シャーロック・ホームズの回想 第6シリーズ
  ▸三破風館
  ▸瀕死の探偵
  ▸金縁の鼻眼鏡
  ▸赤い輪
  ▸マザランの宝石
  ▸ボール箱
  ジェレミー

 あとがき リンダ・プリチャード
 ジェレミーへの追悼の言葉
 最高の栄誉

  付録
  謝辞
  監修者あとがき
  訳者あとがき
  参考文献


■著者■
モーリーン・ウィテカー Maureen Whittaker
イギリスの国語と演劇の元教師。シャーロッキアン。本書のもととなった伝記Jeremy Brett: Playing a Partは、2021年にロンドン・シャーロック・ホームズ協会より、毎年の優れたホームズ関連書籍に贈られる「トニー&フリーダ・ハウレット文学賞」を受賞している。

■翻訳■
高尾菜つこ(たかお・なつこ)
1973年生まれ。翻訳家。南山大学外国語学部英米科卒。主な訳書に、『図説 イギリス王室史』(ブレンダ・ラルフ・ルイス著)、『図説 ローマ教皇史』(同)、『ボタニカルイラストで見るハーブの歴史百科』(キャロライン・ホームズ著)、『中世英国人の仕事と生活』(テリー・ジョーンズ、アラン・エレイラ著)、『図説 ケルト神話伝説物語』(マイケル・ケリガン著)、『ドラゴンの教科書』(ダグラス・ナイルズ著)、『ポワロと私』(デビッド・スーシェ、ジェフリー・ワンセル著)(以上、原書房)などがある。

■監修■
日暮雅通(ひぐらし・まさみち)
1954年生まれ。英米文芸翻訳家。青山学院大学卒。主な著書に『シャーロッキアン翻訳家 最初の挨拶』(原書房)、『シャーロック・ホームズ・バイブル』(早川書房)、訳書に『シャーロック・ホームズ全集』(光文社文庫版)、『コナン・ドイル伝』、『コナン・ドイル書簡集』(以上、東洋書林)、『僧正殺人事件』(東京創元社)、『写真で見るヴィクトリア朝ロンドンとシャーロック・ホームズ』(原書房)など多数。

$読者レビューより引用・編集
かつてグラダナ版のホームズを見た時は幼すぎてあまり記憶がなかったが、大人になり偶然字幕で見た時、あまりの素晴らしさに衝撃を受けた。
それからBlu-rayを購入し更にハマっています。各話のエピソードやジェレミーを始めスタッフのコメントがあり、映像を見るのが益々楽しくなる。

商品の説明

著者について

■著者■
モーリーン・ウィテカー Maureen Whittaker
イギリスの国語と演劇の元教師。シャーロッキアン。本書のもととなった伝記Jeremy Brett: Playing a Partは、2021年にロンドン・シャーロック・ホームズ協会より、毎年の優れたホームズ関連書籍に贈られる「トニー&フリーダ・ハウレット文学賞」を受賞している。

■翻訳■
高尾菜つこ(たかお・なつこ)
1973年生まれ。翻訳家。南山大学外国語学部英米科卒。主な訳書に、『図説 イギリス王室史』(ブレンダ・ラルフ・ルイス著)、『図説 ローマ教皇史』(同)、『ボタニカルイラストで見るハーブの歴史百科』(キャロライン・ホームズ著)、『中世英国人の仕事と生活』(テリー・ジョーンズ、アラン・エレイラ著)、『図説 ケルト神話伝説物語』(マイケル・ケリガン著)、『ドラゴンの教科書』(ダグラス・ナイルズ著)、『ポワロと私』(デビッド・スーシェ、ジェフリー・ワンセル著)(以上、原書房)などがある。

■監修■
日暮雅通(ひぐらし・まさみち)
1954年生まれ。英米文芸翻訳家。青山学院大学卒。主な著書に『シャーロッキアン翻訳家 最初の挨拶』(原書房)、『シャーロック・ホームズ・バイブル』(早川書房)、訳書に『シャーロック・ホームズ全集』(光文社文庫版)、『コナン・ドイル伝』、『コナン・ドイル書簡集』(以上、東洋書林)、『僧正殺人事件』(東京創元社)、『写真で見るヴィクトリア朝ロンドンとシャーロック・ホームズ』(原書房)など多数。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 原書房 (2023/11/27)

  • 発売日 ‏ : ‎ 2023/11/27

  • 言語 ‏ : ‎ 日本語

  • 単行本 ‏ : ‎ 448ページ

  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4562073608

  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4562073603

  • 寸法 ‏ : ‎ 13.7 x 3.5 x 19.5 cm





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