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他人との距離感

Xをやってる時に自称ゲイの人にフォローされて、しばらく相互だった。
私に「オカマは差別用語だよ」
と教えてくれた。その時によってきつい人になったり優しい人になったり起伏が激しい人だった。いつしかブロックされていたが、
「オカマは差別用語」
だという教えは私の心の中に刻まれた。
「自称イケメン」という人がいた。自撮りをたくさんあげていて確かにかっこよかった。
彼も起伏が激しい性格で、なんだか気性が荒すぎてフォローを解除したら、いつの間にかブロックされていた。
「ブロックしたら負け」
「他人の価値観を聞く耳を持たない人がブロックをする」
など、ブロックは負け勢の人もいるらしいが、私は負けでもなんでもいいから不快な人からは逃れたい。
「善意のアドバイスだ」
と言われても要らないもの要らないし、後々為になっても今は受け取れないものもある。
こないだ一方的に20年来の知り合いと決別したが、これもすごく批判された。けれども、やっぱり一緒にいて不快な気持ちになることが多いなら、それは愛の鞭というより愛の無知。良薬は口に苦しではなく、メシマズはくえたものではないのである。
今まではどんなに嫌なことを言われても旦那という柔らかいクッションがあったから、立ち直ってまた接することができたが、亡くなってしまってから傷ついたら傷が癒えるのも格段に遅くなった。もう無理なのである。
決別に関しても
「もうあなたには会わない」
と一言も言えていない。会うこと自体が怖いのだ。
その人は会うたびに昔の虐待経験や親が他の兄弟にばかり優しかったこと、学校ではいじめに遭い、電車ではチカンに遭ったことなど、きいていて不快なことしか話さなかった。なので、みんなうっとおしくなって1人また1人と離れていった。私がみんなが離れていった理由を教えてあげるべきだ、と何人かに言われたが、逆恨みされたり八つ当たりされてこれ以上傷つきたくなかったから
「あんたが美人だからみんな嫉妬してる」
と適当に嘘ついたら鼻の穴膨らませてご満悦だった。
私なりに明るい話を選らんでしていたが、いつの間にか私は「苦労を知らないおめでたい人」みたいにバカにされていたことを知り、もうこれ以上会いたくないし顔もみたくなくなった。
まあでも私も
「みんなに嫌われた理由もわからないバカなヤツ」
と思ってたからおあいこだ。
「ここが嫌だったとつげたほうがいい」
親を含めたくさんの人にアドバイスいただいたが、もうそこまでして嫌な思いするために会いたくない。

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