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嫌いだったのに好きになる

今好きなものってだいたい元々嫌いだったケースが多い。
「嫌いだったけどみてみるか…」
でみてみたらハマっていたり、
「こんな服着られるかい!」
と思っても着てみるとハマったり……
 嫌い目だったのに今では友達の人もいる。
学生の頃もみんなが
「あいつ、キツイw」
と言われた子と話してみたら楽しかったり。
ただ「あいつキツイ」と言われてる子とつき合うと、その他大勢の一般的な友達を無くす恐れがあるので、その子はその子で個別につき合って、他の友達と合流させてはならないなどの気遣いが必要になってくる。
「私が好きな子」
を他者が嫌がってるのに無理矢理合流させてはいけないのだ。
ここを昔は勘違いして
「私の好きな子を嫌うならもうつき合わないわ!」
みたいな妙な潔癖さを出してしまい、2人して孤立した後に好きだったはずのその子の真のヤバさに気づいてしまい、結局1人になる失敗経験を踏まえて、何股もかける方式で同時進行する交流のしかたに落ち着いた。
変に一途な子だとこういう交流を批判されがちなのだが、一途につき合った相手が必ずしも一生涯のつきあいになるとは限らないので、何股もかける方式が有効なのである。
今も旦那が死んでから、今までつきあいがあった友人に嫌気がさし、それまで相手に子供がいたから
「子供いないから仲間はずれ~」
とかいじめられることを勝手に妄想して距離を置いてた主婦たちとシレッとよりを戻し、嫌気がさした子無しの友達としばし距離を置くことにした。また戻りたくなることを考慮して絶縁などはしないのがポイントである。
本当に嫌いになったり嫌いじゃなくなったりする自分が呪わしい。
忙しくてかなわない。

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