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令和『いろはにほへと』-へ-

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 「下手」にも色々ありますが、僕の周囲の環境下においては、「僕(私)は、絵が下手なので」とか言われる「下手」ってものがあります。
 「絵が(絵を描くのが)下手」って、一体何でしょう。どう言う事でしょう。
 逆に「絵が上手」って何なのでしょう。
 小学校から中学校に進学して一番、苦手意識が生まれたり嫌いになったりして、高校に上がると、もう受けたくなくなる教科は「美術」だそうです。トップですよ、なんで?????
 そもそも「下手な絵」「上手な絵」ってどこにどんな違いがあるのでしょう?

 ピカソの「泣く女」や「ゲルニカ」は上手?下手?
 レンブラントの「自画像」は?「鳥獣戯画」は?「岡本太郎」は?「手塚治虫」は?「鳥山明」は?「吾峠呼世晴」は?「ジミーちゃん」は?下手なの?上手なの?どっち!

 一般的に多くの場合、『何かを描く際に「写実的」「立体的」に、平面上に正しく表現することが容易に出来ない』ということを「絵が下手」と言っているのだと思います。
 でも、それは「容易」には出来ないと言うだけで、「絶対」に出来ないわけではないはずです。

 何故なら人間は、仮に脳や視神経に異常をきたし、「観る・判断する」ことが不可能な場合を除き、誰もが①「観ること」②「考えること」③「道具を使うこと(手でも足でも口ででも)」ができるからです。
 仮に①〜③のそれぞれの伝達速度に個人差があったとしても、これができればどのようにでも「絵が描ける」のです。
 あとは各自が考えて描くだけなのです。上手いか下手かは、各自の考え(イメージでもアイデアとでも言い換えることができるでしょう)を、どれだけ平面上に「差異なく」表現できるかどうかなのではないでしょうか。最終的には、そんな差異やイメージすら必要なくなるかも知れません。単純に絵が好き、描くことが好き、だから手を動かしながら見える広がる世界が,もっと好き…の積み重ねや進化が、上手とイコールに感じられるかも知れません。

 でも多くの場合、その差異の大きさや、思い通りにならないもどかしさに「自分は下手だ」と思い込み、それだけでは留まらずに「自分は絵が『嫌いだ』」と言う考え方に繋がるケースが少なくないのが現実なのではないでしょうか。悩ましいところです。

 サッカーが「上手」な少年は誰でも、最初(初めてやった時)からリフティングがいつまででも出来るわけではないでしょう。うまく出来なく(下手)ても、出来る様に、出来るまでリフティングの練習を続けていくうちに、リフティングのみならずサッカーとしての「足を使ってボールを自在に扱う技術」が向上していき、さらにサッカーが好きになって、さらに「上手」になっていくのではないでしょうか。
 それは、「描くこと」と同様に「(ボールと自身の関係を)観ること」「考えること」「足を使うこと」の伝達の熟練によって、サッカーが「上手」になると言うことだと考えられます。

 歌や楽器の演奏なども、同様のことが言えると思います。
 しかしながら、前述の例(サッカーや楽器演奏)と絵を描くことには少しだけ、違うところがあります。
 それは、サッカーや楽器演奏などは「基本的なルール(足を使ってボールを敵陣に運び合う前提)」や「そうしないと不快に感じる(楽典や音楽理論)」などが挙げられます。しかしながらそれらの多くは、練習や学習の蓄積によって解消されるものです。

 絵を描くことに本来、「基本的なルール」や「こう描かないと不快に感じるから駄目」と言うものなどあるでしょうか。結論からいうと「無い」と思います。(しかし美術・芸術といった分野に踏み込むと、ある種普遍的で最低限の不文律のようなものはあって然るべきだと個人的は思います)

 描きたいことやものを自由に描き、それを俯瞰して、より納得や満足できるように、または描きながら新しい発見をし、その中で自身の進化や変化を追求していくために「工夫」を重ねる。そうすることで描かれたもの(作品)に内容や説得力、完成度の高まりなどが生まれ、その熟練の経過や結果の度合いで「魅力がある」などと感じられたり認識されたりすることが、ある意味で「絵が上手」と言うことになるのではないでしょうか。「絵が下手」と言うのは、上記のことが容易では無いことを自身の中で認められずに「嫌い=下手(苦手)」となるからではないでしょうか。まさに「好きこそものの上手なれ」です。

 理論や概念に囚われ、頭でっかちにならず、ただただ純粋に楽しんで描くことを続ける。そうするだけで「描くのが下手」と言う束縛から解放されると思うのです。

 ただ、その取っ掛かりの部分である「学校教育」などの場で、本来自由に工夫するべきものに「評価」などと言うものを取り入れたりするものだから、自由や新しい発見などがスポイルされ、「デッサン力だ」「遠近法だ」などと余計に面倒臭くなり、楽しさから縁遠くなり、自分から「描くのが下手」と決めてしまうのではないでしょうか。

 「下手は上手のはじまり」かもしれませんよ。

 「黒帯も最初は白帯」なんですから。

 いいじゃない。自由で。

 支離滅裂。

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