令和『いろはにほへと」-ぬ-
令和『いろはにほへと』-ぬ-
ぬ
「ヌード」(一糸纏わぬ女性の裸の姿)を初めて目の当たりにしたのは、18歳の夏。
美大受験のため研究所に、夏期実技講習を受講しに行った時の「裸婦デッサン」だった。
アトリエには僕と同年代の男子女子が多数、イーゼルを立て、モデル台に向かってより良い場所を取り合うように群がっていた。
僕はというとやや後方で、「裸婦デッサン」というよりは『「女性の裸」を見ながら、どこをどう描くの?』という、やや邪(よこしま)というか恥ずかしいような、見てはいけないものを見るドキドキ感のようなものの方が強かった。しかも「完全に裸」の知らない女性を凝視するわけだ。
ほどなく柔らかいガウンを身に纏ったお姉さんがアトリエに入ってきた。
一緒に入ってきた講師と、モデル台の上でポーズの確認をやわら始めた。その後、講師が「それではこれから始めます。ポーズ15分、休憩10分でおこないます。」と言ってモデル台から離れると、お姉さんはそっとガウンを脱ぎ静かにポーズをとった。
分かってはいたけれど、僕は大いに驚き動揺した。
思っていたよりも若くて、しかも綺麗。もちろんアダルトチックな過激なポーズではない、が、全部見えちゃってるし!なんだか、まっすぐ見ていられない感覚だった。
しかし、そんな感覚も長くは感じたが実は「一瞬」のことだった。
何故なら、直ぐに気がついたからだ。
周りの皆の真剣に観る意識、人物を人体を骨格を観察し、その構造やバランス、画面における構図と目の前にいるモデルを自身の経験と熟練の糧にしようという貪欲なまでの迫力に。
僕は、その時本当に恥ずかしくなった。
でもそれで僕は気づいた。僕は絵を描くためにここにいるんだと。皆と同じように、絵を上手に、思い通りに描けるようになるために、「練習するため」にここにいるんだと。
そこからは、一所懸命にモデルを見つめ観察し、頑張って描いた。一心に描いた。
しかし、描くことを真剣に決めて日の浅い僕の目の前にある木炭紙に描かれた「裸婦」は、どこもかしこも目の前にいたあの、綺麗なお姉さんのそれではなかった。
思った通りに描くのは、本当に難しいのだなと思った。同時に、それが出来るようになったらどんなに楽しいんだろうと、改めて思った。
初めての「ヌード」と僕のお話。
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