社会の問題や関心ごとは、いかようにして自分ごとになるのか?

このテーマに対して、そもそも自分ごとにするような行動は私はしない。しかし、少し前に気になっていたラーメン屋Bに行ったことが、きっかけで自分ごとにせざるを得ない状況に巻き込まれる。巻き込まれるのもこのnoteを書かずに済めば有難いのですが、という気持ちで書いているから、書かざるを得なくなったに過ぎない。

そのラーメン屋Bは、オープンして間もないお店だった。結論から言うとそのラーメンは美味しかった。普通に美味しく食べられる一杯のラーメンを作っていた。これは尊敬に値する。ものづくりをしている人間を私はすべてではないが尊敬しているからだ。

さて、問題はここからだ。このラーメン屋Bがきっかけで、どのようにして自分ごとになったか、それはそのラーメンが「本物と偽物」という形で私にとって、社会の問題ないし関心ごととなり、巻き込まれたとは言え、考えなければならなくなったからだ。私が気になっていたラーメン屋Bは、ここで言うところの「偽物」だ。と言うのもこのラーメン屋は、修行元の京都で有名なラーメン屋Tを丸パクリしているとクチコミで書き込みがたくさんあり、修行元からも注意喚起を受けているそうで、もう笑えてくるほどのパクリ具合なのだ。修行元がここで言う「本物」になる。

しかし、私はどちらのラーメン屋でも食べたから言えることがある。それはどちらもとても美味しいラーメンを作っていると言うことだ。丸パクリに関しては、とても悪質な行為に間違いはないのだか、かなり味に再現性が取れていて、安くて、かつ街中にあると言う点では、私にとっては有難いことだ。修行元のラーメン屋Tは少し離れたところにあって、利便性が良いとは言えない。

私は、ここで言いたい。
パクリ、真似、大いに結構。やれやれ!と
(*あまりに悪質なものは別として)
本物があるから偽物も存在しているし、この関係性は非常に興味深い。本物という存在がより偽物を際立たせて、何者かになろうとする強い意志がある者達にとって、この過程は必ず通る道である。この道にたまに天才が現れることもあるが、、、

“偽物のほうが圧倒的に価値がある。そこに本物になろうという意思があるだけ、偽物のほうが本物よりも本物だ。”  *1

本物は、本物である事実そのものが変わることはまずなく、本物であり続けることでしょう。これは極めた者、本物のみぞ知る真実でそこから見えるものは今の私には想像も出来ない。私は、ラーメンを作ったことはないが、美味いラーメンを作る過程で、一杯を美味しく作るのと、1日を通して美味しものを作るのと、一年を通して安定した仕事をするのとでは、要求される能力も難易度も違うと思う。本物というのは

”持続の精密な芸術であり、その時間の配分と管理。つまり、選びに選んだ物事を特別に育て上げるためにそれらに与えられる時間の消費量” *2

これが、本物だと思わざるを得ない存在を創り出すと考える。

「偽物の方が圧倒的に価値がある」について、誤解を招くとまずいので、解説をしておくと、偽物は本物ではないという事実を受け入れながらも、本物よりも本物に近づこうとする点に価値があるという訳です。つまり、パクリ疑惑ラーメン屋も私も本物の珈琲屋になるのか、何者になるのかは分かりませんが、かなり価値があります。ラーメン屋Bに対しては、私が美味しいと思った以上、本物を脅かす存在になって、本物を超える存在であって欲しいという私個人の少しの期待です。

こんなところで終わりにはなりますが、よく分からないことをつらつら書きました。これは巻き込み事故です。


〈引用〉
*1  漫画 偽物語
*2  ヴァレリーテスト氏 24p


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