見出し画像

蛙鳴蝉噪

7.8月曜

  蝉の声が聞こえる。嗚呼夏が来たな、そう思い廊下の大窓から木々を見るのは日々の苦を労ってくれているような心持ちを抱かせる。時々鳴き止む瞬間にその声は、男が途切れ途切れに痰を吐くように物悲しく響くので私は心を奪われる。鳴き止むその瞬間、絶命してしまったのではないかと仮定した死に思いを馳せる。母には「勝手に殺すな」と言われてしまった。うちへ帰って調べてみたが、絶命する瞬間に苦しみの声を上げるなどという文献は見られなかった。種類ごとに鳴き声が違い、鳴く時間帯も異なる。今まで興味のないことだったのに、心に夏に対する明快な答えが投げ込まれたような気分を味わえる鳴き声に虜になっている。黒ずんだベンチに腰をかけて、名も知らぬ木の陰に世話になりながら蝉が鳴くさまや雀が慌ただしく校舎と木々を行き来する様子を眺める。教室に響く社交の声を遠く追いやって、私は何も考えない。
  4時限目、文学国語の共通テスト対策問題に取り組む。私が朗読をよく聞いていた芥川龍之介の『蜜柑』であったので、心が少しばかり晴れて気分が良かった。うちへ帰って久々に繰り返し聞いた。そのうち朝聞いた言葉を思い出した。萩原朔太郎曰く、孤独は天才と哲学者・詩人に特別の悲劇であるそうだ。私はそのどれかの素質があるのだ!と少しの望みを抱いて故人の心へ飛び込むことで、独りよがりで風変わりな私は慰められている。芥川龍之介の『蜜柑』も、私の気疲れをとって微笑をもたらしてくれる存在である。生きている人の心には流れが速いゆえに飛び込めないが、死人の心は私たちが知ろうと決める時期を指定する権限さえ認められている。その贅沢。私はこれに優るものを知らないので、孤独を愛するように出来ているのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?