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マイケルは芸術家でありシャーマンであり菩薩である~その1~

前回「Michael Jacksonと私」として、大学生時代に熱中した独自のマイケル研究と安冨歩さんの『マイケル・ジャクソンの思想』という本との出会いによって、人生に転機が訪れたことについて少し書いてみた。

「マイケル・ジャクソンは救世主である」

安冨さんは著書の「はじめに」でそう喝破された。さらに、

……私は、彼が20世紀最大のエンターテイナー、芸術家、慈善活動家であるばかりではなく、最大の思想家の一人であるという結論に到達した。彼の作品は、その思想を厳密に表現するために、完璧に構成されているように私には見えた。
 今の考えをより正確に言うと、マイケル・ジャクソンはベートーヴェンに匹敵する作曲家であり、リストに匹敵する演奏者であり、ニジンスキーに匹敵するダンサーであり、チャップリンに匹敵する映像作家であり、ゴッホに匹敵する画家であり、キング牧師に匹敵する非暴力活動家であり、マザー・テレサに匹敵する慈善活動家であり、スティーヴ・ジョブズに匹敵する起業家であり、その上最も優れた思想家でもあったのである。
 その驚くべき能力と影響の深さとを考えたとき、マイケル・ジャクソンに匹敵する人物は一人しか思いつかない。モーハンダース・カラムチャンド・マハートマ・ガンディーである。
『マイケル・ジャクソンの思想』安冨歩

ものすごい賛辞の嵐ですよ、これ。
ちょっと言い過ぎなんじゃ……?と思われるかもしれない。
でも、私が周りの人に知らせたかったのはこれよ!というかんじで心から同意する内容なのだ。

一般的に、マイケルは言わずと知れた世界的エンターティナーであり、ムーンウォークの人であり、と同時に「あぁ、あの整形したり肌を脱色したりした変な人ね」という認識がまだまだ大多数だろう。

一方で、彼が亡くなってからは生前とはうって変わって賛美や賞賛の声が相次いだ。
それらの多くは彼の歌やダンスのパフォーマーとしての卓越した才能を惜しむ声、その再評価的なものが多かったように思う。

でも、そういった外面的な評価によってのみ消費される対象ではないくらい、マイケルの思想は深いのだ。

だから私はさらにつけ足して

マイケルはシャーマンであり、マイケルは菩薩である

とまで言ってみる。

救世主の次は菩薩かい!?

と思われるかもしれないが、あくまで私なりの解釈として記しておきたい。


マイケルは芸術家である

マイケルの著作である『ダンシング・ザ・ドリーム Dancing the Dream』(Doubleday, 1992)

これを持っている人はどれくらいいるのだろう?
安冨さんは著書の中で、この本についてはまったく知られていないと書かれていた。

でも、それは本当にもったいない!

マイケルの思想・哲学を知りたければ、この詩集はぜひ多くの方に読んでほしいと思う。

私は元々マイケルの歌は歌詞よりもリズム、サウンド、ダンス、その癖の強さがたまらなく好きだった。
歌詞については正直、日本語訳を読んでも意味不明なものが多く、ただ音として聞き流していただけだった。

しかし、大学生の時に思い切ってこの詩集を手に入れて読んでからは、マイケルの心のひだに触れたような気がして感じ入ってしまった。

マイケルの芸術家としての天賦の才能、それは多くの人が知っている事実であると思うが、では本人がそれについてどう感じていたのか、ということについてはこの詩集にまとめられた一連の散文詩によって初めて知ることができる。

ダンスとは、歌とは、自分の身体を通して湧き上がる創造の喜びと、それを大人たちによって抑圧されることの痛みと苦しみ、

裏切られることを恐れる鏡に映る自分と、愛の力がすべてを乗り越えていくと信じる本当の自分がどのように統合されていくのか、

知られざる内面の葛藤も、マイケルのクリエイターとしての源泉についても、美しい詩的な言葉や童話的比喩表現で記されている。

これはもう、宮沢賢治の思想そのままというかんじがする。

マイケルのルーツがアフリカンアメリカンであることが大いに関係していると思うのだが、シャーマニスティックな感受性において二者の間には共通性があると思っている。

これについては、また別の記事に詳しく書きたい。

そしてもう一つ

先程の引用文の最後に安冨さんが、非暴力・不服従運動で有名なガンディーを挙げておられるが、本当にこの指摘は重要だと思う。

マイケルは歌とダンスという非暴力により、一連のワールドツアーを通じて人々に世界を支配する恐怖と抑圧からくる暴力装置(戦争や貧困や差別を生み出す国家システムなど)の作動から逃れ、ありのままの自分を取り戻して変化を起こそう!というメッセージを伝えたのである。

ドイツのベルリンの壁、韓国の38度線、独裁者によって傷つけられたルーマニアなどなど……

マイケルは分断や抑圧の悲しみの最前線にこそ向かう。

歴史を見る限り、非暴力・不服従運動は命の危険が伴うものであるが、マイケルは完璧なアーティストとしてステージに立ち、華麗なパフォーマンスによってオブラートに包みながら、その壮大なメッセージを発信してくれていた。

戦争や紛争やパンデミック、政治的混乱が絶えない今だからこそマイケルのパフォーマンスを見てほしい、歌を聴いてほしい、詩を読んでほしい!と思う。

Heal the Worldという曲の中で、

世界中の国々が 武器を鋤の刃に変えるだろう
ぼくらは本当にそこにたどり着く事ができる

という言葉がある。

私個人は、世界中で次々起こる戦争や紛争をどうしようもない。
だけど武器を送り込むシステムを拒否し、鋤を持ち鍬をふるい、畑を耕すという非暴力・不服従運動を始めた。

より良い場所を作り 世界の傷を癒そう

ニュースを見るたびにげんなりする世の中でも、マイケルがいつも語りかけてくれる。

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