I AM THATとの格闘 番外4

用語解説に勝手な、解釈を付けていく。
の、3回目。
今回は重要な用語が多い。

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チッタ 個人的意識
マインドのあらゆる階層を構成する。最下がマナス
チット 宇宙意識 普遍的意識

本文中、「意識」という用語に混乱してしまう場面があったが、
この区別があるようだ。

チット 宇宙意識とプルシャ 宇宙の魂
の違いは、どうだろうか。
ニサルガの言葉の中で「魂」が出てきていないと思う。
「意識」「生命」「愛」「実存の反映」「純粋な観照者」などの言葉があるが、この辺りが魂の言い換えなのでは、と今は睨んでいる。
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瞑想・探究関係

サマーディ 深遠な瞑想 忘我の境地 5段階
 感覚の対象物(神や理念)の視覚化
 疑い 名前 形を超えた状態
 欲望の現われが止まる
 無意識の思考過程も止まる
 本能的に湧き上がるものも止まる

苫米地博士は、後天的な共感覚を作り出す話をしている場面があるが、
これは、サマーディの第一段階でもあったのだろう。
言葉としての表現不可能の体感・実感の段階に入っていく。
そして、「唯識」という識のみという状態に留り、純度が上がっていく・より深くなっていくというイメージを受けている。
「そこに留まるのだ。」というニサルガの言葉があったと思う。

言葉を超え、無意識も、本能も停止していく。
とっさの生命的な衝動も、止まっているのだろう。
もしくは、生命維持に関わる事は「私に関係なく、ただ起こる」だけなのか。
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ニルヴァーナ 最終的な死 生命の炎の消滅
物質からの解放とブラフマンとの再合一

ムムクシュトヴァ 誠実さから成る正しい願望。真理の探究者に必要とされる4つの条件。
正しい識別 正しい無執着 正しい行為 正しい欲望

ここで、非常に大きな問題がある。
「最終的な死 生命の炎の消滅」
これが、欲しいですか? という問いだ。

宇宙全史では「絶望が必要」という表現が、繰り返されている。
ここに繋がっているのだろう。
ニサルガの言葉に「死した後に生命はより一層輝く」というような言葉があったと思う。
無明庵 EOは、「他のもっと悟りやすい宇宙」の存在を示していたと思う。
もっと長い寿命・もっと進んだ技術で、惑星を作ってみたり壊してみたり。

「他の宇宙、別な物理法則、全く違う生命体としての生」ならば、してみたい。
という段階では、結局ニルヴァーナは受け取れないのではないか。
二元性を超えるというのは、そうゆうことなのでは・・・

二元性の世界・物質の世界に「まだいたい」のか、「もう十分」なのか。

しかし、そこまでいっても「私は在る」は揺るがないのだろう。
ニサルガの言葉に、そんな力強さを感じている。
「私は在る」「ただ師を信じたのだ。」
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カルマ関係
カルマ 責任のある行為。
 サンチタ・カルマ  過去生からの蓄積
 プラーラブダ    今生で果たされるべき過去からの蓄積
 アーガーミ・カルマ 現在進行している、将来実を結ぶ

スートラアートマ すべての生き物を連結する輪。
顕現世界を連結する糸のような支え。すべての生き物の中にある根底の純粋意識。
ニサルガ曰く「何世にも蓄積されたカルマ」

宇宙全史内で語られているカルマについても何種類かあったように思う。
「集合魂からのカルマ」「前世からのカルマ」「今世で作ったカルマ」という種類の話。
そして「人種としてのカルマ」の説明があったと思う。

今回、何世にも蓄積されたカルマ すべての生き物を連結する輪
という、巨大な括りのカルマがあるという話が出てきた。
「宇宙のゴミ」というのは、ここの部分と関係があるのだろうか・・・
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ある程度、まとまってきた感じがある。
そして本文を読み進めてみたが、それなりに読みやすくなってきた。

何度も繰り返される「言語化不可能」
「自己の定義付け・自己の同一化をやめる」
ここがミソなのだろう。

本文中で、実存が語られているような気がする場面がある。
質問者とニサルガを比較して、「あなたの世界は 、私の世界は 」と話されている場面だ。
この場面にある、ニサルガの「私は、私の世界では」をかき集めてみても、そこに実存はないのだろう。
これは、質問者の否定をするためだろう。

「自己の定義付け・自己の同一化」
というのは、
宇宙全史でいうところの「エゴの形成」と、関係があるように感じる。
エゴの形成ができていないので、自分以外のものとくっつきたくなっている。
不安定な私を、外側にある安定してそうなものと一緒にしたい。
ということなのかもしれない。
そんなことをしなくても、完全に明確に「私は在る」のだろう。


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