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【シリーズ第10回:黒人アーティストの人生】🎵ソウル(魂)を感じたい🎵

 このシリーズでは、私の大好きな黒人アーティスト、特に、1970年代、80年代に活躍したR&B、SOULミュージシャンを紹介しています。

・・・さて、誰でしょう🎵


さて、誰でしょう🎵

ヒント


  1. ハモンドオルガンといえば、この人!

  2. デビューは11歳です。

  3. R&B、ソウル、ロック、ファンク、ゴスペル、様々なジャンルを演奏します。

  4. Beatles(ビートルズ)、Sam Cooke(サム・クック)、Rolling Stones(ローリング・ストーンズ)、Ray Charles(レイ・チャールズ)など、数々のビッグアーティストと共演した、トップセッションキーボーディストです。

  5. シンガーでもあり、ソロデヴューもしています。


生い立ち

 1946年9月2日、ヒューストン、テキサスで生まれた。
 パパとママが離婚した後すぐ、ロスアンジェルスへ引っ越しする。
 ママがチャーチでオルガンを弾いていたこともあり、ママの膝の上で、3歳からオルガンを弾き始める。
 10歳になると、ゴスペルの女王、Mahalia Jackson(マヘリア・ジャクソン)のバックでオルガンを演奏していた。
 誰かに習ったことは一度もないけれど、彼のオルガンは素晴らしく、人々は彼のことを神童と呼んだ。

デビュー

 11歳のとき、テレビでNat King Cole(ナット・キング・コール)と共に歌をうたった。
 Nat King Coleが主演する映画、”St.Louis Blues”にも出演した。
 
 16歳のとき、Little Richard(リトル・リチャード)のバンドに入る。 
 Beatlesの前座を務めたとき、メンバーが、ステージに出てくるよう誘ったけれど、Little Richardに怒られるので、断念した。
 その後、再会までに数年あるけれど、この時にメンバーと仲良くなる。

 17歳、Sam Cookeのアルバムに参加した。

 19歳の誕生日直前に、”The Most Exciting Organ Ever”というアルバムをリリースする。 音が跳ねていて、オルガン好きにはたまらない。

 21歳、彼にとって神様のような存在だった、Ray Charlesのバンドに入る。
 このとき、Beatlesのメンバーと再会する。

 1969年、数年ぶりにBeatlesのメンバー全員が集まった、”Get Back Session”に参加する。 
 約一年間、George Harrison(ジョージ・ハリソン)の家に泊まって活動した。
 この時期、5人目のBeatlesメンバーと言われていた。

 John Lennonは、
 「彼もメンバーに入ってもらおう!」
 と提案したが、実現しなかった。

その人物とは・・・







 Billy Preston(ビリー・プリストン)で~す。

 この時、BeatlesのApple Recordsから、”That's the Way God Planned It”をリリースする。 
 プロデュースは仲良しのGeorge Harrison。
 Apple Recordsは、彼のやりたいことを自由にさせてくれたので、実に楽しかったそうだ。

 クリスチャンの彼らしい、ゴスペルロック。
 彼は、宗教をとても大切にしているけれど、仕事のときは、そのことを脇において、どんな音楽でも演奏した。

ファンキー!!!


 そして、リリースした曲が、1972年にグラミーを受賞した”Outa-Space”だ!!!

 このシングルはAppleRecordから、A&Mに移ってからリリースされた。

 ギターはBrothers Johnsonから、George Johnson(ジョージ・ジョンソン)。
 Manny Kellugh(マニー・ケルーグ)のドラムがかっこよすぎる。
 
 1972 年、1973年にリリースされたシングル、”Will it Go Round in Circle”、”Nothing from Nothing”、”Space Race”は、それぞれ1ミリオンセラーを記録した。

 ただただ聞いて欲しい~🎵

 楽しい~!!

ビューティフル!!!

 1979年、A&MからMotownに移籍し、リリースした曲はSyreeta Write(シリータ・ライト)とのデュエットで、”With You I'm Born Again”。
 クラシックな、美しすぎるラヴソング。

 

1980年以降

 1980年、コケインとアルコールの中毒になり、精神的にも肉体的にも病み、以前と同じような活動ができなくなる。
 子供の頃に、性的虐待を受けていた彼は、すでに心に大きな傷があった。
 フィアンセの女性の浮気がきっかけで、心のバランスが崩れ、彼は男性に走る。
 ホモセクシュアルでいるために、彼にはドラッグとアルコールが必要だった。

 Motownを去り、その頃からはセッションの仕事だけを引き受けた。
 
 といっても、Luther Vandross(ルーサー・ヴァンドロス)、Whitney Houston(ホイットニー・ヒューストン)、Patti Labell(パティ・ラベル)など、すごい人ばかりだ。
  Elic Clapton(エリック・クラプトン)や、Ringo Star(リンゴスター)とのツアーもあった。

 

1990年以降

 1990年以降は、ドラッグ保持や、飲酒運転、性的暴行などで自宅謹慎、保護観察など、さらに状態は悪化した。
 1998年には、自宅を放火したり、保険詐欺などで逮捕もされた。

 しかし、1年半の服役中に合唱団を率いて、教会の礼拝で演奏をしたり、リハビリを行い、少しずつ自分自身を取り戻す。
 出所後はドラッグフリーの状態にまで回復した。

 ドラッグからは解放されたけれど、腎臓の病に侵され、音楽活動はそれほどできなかった。
 
 彼の最後のフィルムは、Billyのトリヴュートビデオで、Sam Moore(サム・ムーア)との”You Are So Beautiful”。
 1974年に、BillyがJoe Cocker(ジョー・コッカー)に書いたこの曲は、とても美しく、多くの人に愛され続けている。

 2006年に腎臓移植をしたけれど、予後が悪く、6月6日に亡くなった。
 

最後に

 彼は、素晴らしいライヴミュージシャンだった。

 「音楽業界は、アルバムの売れ行きによって、人との関係もアップダウンするから難しいね。音楽が売れないからといって、僕が悪い人間ってことじゃないんだけれどね」

 「どの国の人も素晴らしいけれど、ヨーロッパの人は前のアルバムの出来、不出来で僕をジャッジしなかった。それはアメリカとの大きな違いだったね」

 ヨーロッパツアーへ行き、イギリスに1年以上滞在した彼だから言えることだ。

 1980年以降は、トラブルも多かったけれど、彼がセッションを中心に活動していたのは、スタジオワークより、ステージで演奏することが好きだったからじゃないかな。

 「音楽は音だけじゃなくて、視覚でも訴えるものだと思うんだ」
 
 曲を書けば、ロイヤリティでお金が入るけれど、彼はツアーを活動の中心にした。
 とても心がきれいな人だったんじゃないかなぁ・・・と、勝手に思っている。
 
 「Billyの指が間違った鍵盤にのったことは、一度もなかったよ」
 とリンゴスターが言っていた。
 神童と呼ばれた、彼のピュアで素晴らしい才能が、彼の未来と健康が、世の中のドロドロとした汚いものによって、失われたことが残念だ。 

 最後に、大好きなRay Charles とのデュオから、彼のダンスを少しだけ。
 オルガンを弾いているときのBillyは最高にいい顔をしているけれど、踊っている彼も、楽しそうで、こちらまで嬉しくなる。
 衣装もいいなぁ。


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