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ノーマとスティーヴと小さな喜び

 私は、シアトルにある、老人ホームのレストランでウェイトレスをしている。シフトは朝食と昼食だ。
 2週間前、ノーマが、息子のスティーヴに車椅子を押してもらって、ランチを食べに来た。彼女の、最後のダイニングルームでの食事だった。

  ノーマは、ホームの中でもパワフルな存在だった。背も高く、迫力もある。シアトル人には珍しく、意見をはっきり言い、文句もきっちり言った。
「これがディナーなの?クックをここに連れてきなさい!出てこないなら、彼はチキン(弱虫)よ!」
「俺は出て行かない!」
 夕食に納得できないノーマと、クックの間に立たされることもあった。
 住民の、ロイスとの間に立たされたこともある。
「音楽を変えなさい!」
 ロイスに言われて、ステーションを変えると、
「音楽を元に戻しなさい!」
 ノーマに怒られる。
「ごめん、ノーマ。ロイスは精神的に、にぎやかな音楽が耐えられないみたいやねん」
「ここはロイスだけの場所じゃないでしょ。最初のステーションが好きな住民もいるはずよ!」
 ノーマの言っていることは間違っていない。間違ってはいないけれど、こちらは、音楽どころではない忙しさだ。
「(どっちでもええやん~)」
 こう言いたくなる。とはいえ、ノーマもどちらのステーションでも良かったと思う。ウェイトレスが、ロイスの希望を優先することに、腹が立ったのだろう。

 ノーマには、色々言われることもあったけれど、私に対するクレイムはなかったと記憶する。あったかもしれないけれど、働き始めた頃から、応援してもらうことの方が多かった。
 その日のパートナーが来ず、ひとりでサーヴィスをした日は、サーヴィスをしている間中、ノーマの視線を感じた。食事を出し終わると、ノーマが言った。
「ハニー、よくやったわね。どうやった?」
「ノーマ、大丈夫やったと思うけど、自分ではわからんわー」
「大丈夫。ちゃんとできてたわよ」
 こう言って、私の手を握ってくれた。
 普段のサーヴィスでも、私が近くへ行くと、必ず声をかけてくれた。
「ハニー、調子はどう?」
「ノーマ、ありがとう。大丈夫。楽しくやってるよー」
 こう言うと、ニッコリ笑って、私の手を握ってくれた。彼女の手は、いつもひんやり冷たかった。

 そんなノーマが、数か月前から、食事に来れなくなった。貧血らしい。食事を届けに行くと、少し元気のないノーマがいた。
「ノーマ、体調はどう?」
「少しずつ良くなってるよ。ハニー、あなたはどう?」
「大丈夫。元気やで」
 それからしばらくして、部屋で転んだノーマが、病院へ運ばれたというニュースが入った。翌日には退院したけれど、その日から、ケアギヴァー(介護者)のヘルプが必要になった。食事もケアギヴァーが持って行く。私が彼女に会うチャンスはなくなった。
 ノーマの食事を入れた箱に、オレンジ色のマジックで、こっそり💛をいっぱい描いた。下手な英語でメッセージを書くより、💛の方が私の気持ちは伝わる。といっても蛍光ペン?なのか、色が薄く、ほとんど見えなかった。ノーマは気付かないだろう。他に明るい色のペンはなかったし、自己満足なので、それでいいことにした。
 6月末、ケアギヴァーのベイリーが言った。
「ノーマは死んじゃうんだよ」
 ノーマと会うことは、もう、ないんだろうなぁ。寂しいけれど、老人ホームで働くということは、そういうことだ。
 それでも、アイスクリームやゼリー、ヨーグルトやフルーツ、スープのオーダーが毎日入った。食べられるのか、意識があるのか、何もわからない。気持ちなので、ほとんど見えない💛だけは、描き続けた。

 そのノーマがダイニングルームへ来た!すっかり痩せていて、飲み物を出していいのかどうかもわからない。スティーヴに許可を得て、ドリンクサーヴスへ行く。
「ノーマ、久しぶり!いつものオレンジジュースにする?」
「ハニー、どう?うまくいってる?そうね、オレンジジュースをちょうだい」
 こう言うと、いつものように手を握ってくれた。そして、ボウルに入ったフルーツをフォークで食べ始めた。ノーマは、まだ元気なんだ!ちょっと嬉しかった。
 しばらくして、ノーマのテーブルを見に行くと、彼女は、まだフルーツを食べていた。すると突然、フォークにさしたフルーツのひとつを、隣に座っていた、メリーの皿に”ポン”とのせた。メリーは新しい住民で、ノーマと会ったのは、その日がはじめてだ。ノーマの病気のこともよく知らない。食べていたアスパラガスの横に、”ポイ”、”ポイ”とフルーツがのせられていく。メリーの目は、驚きでまん丸だ。ノーマの行動も、皿に置かれたフルーツと、ノーマの顔を交互に見るメリーの、まん丸の目も、おもしろすぎた。アスパラガスもほとんど食べ終わっていたし、メリーも何も言わなかったので、そのままにしておいた。
 元気だと思ったけれど、これまでのノーマは、もう、ここにはいないことに気付いた。

 ノーマが亡くなったのは、その週末、土曜日の朝だった。
 数日後、スティーヴがランチタイムにやってきた。
「皆さん、ノーマの息子のスティーヴです!母は、この施設で、皆さんと会えたことを心から喜んでいました。先日、皆さんと一緒に食事ができて、本当に良かった。人生の最期に、皆さんと一緒に暮らせて、彼女は幸せでした。ありがとうございました!」

 できることも、好きなことも限られている老人ホームで、「幸せ!」と感じることは少ない。体も痛いし、しんどいし、好きなものが食べられるわけではない。生きるだけで、精一杯の人も少なくない。そんな中で、小さな喜び、楽しみを見つけて、生きていく。
 ノーマの喜びのひとつは、施設にいても、スティーヴが時々顔を出してくれること、彼が、他の住民や従業員と仲良くしていたことかな?と思った。住民を訪ねてくる家族はいるけれど、彼のように、ダイニングルームに来て、皆とおしゃべりする人は、数えるほどだ。スティーヴは、ノーマの周囲の人を大切にしていた。 
 正解かどうかはわからないけれど、住民に挨拶をするスティーヴを見ながら、そんなことを考えた。そして、住民だけではなく、住民の家族の名前もきちんと覚えて、家族をひっくるめて、仲良く、楽しくしたいと思った。
 短い間だったけれど、ノーマと、ノーマの家族に出会えて良かった。


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