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そのひとり! 恵美寿屋のマスター 「ひげ殿下」こと大内次雄さん

こんにちは、ハンソデです。
初回となる岳民インタビュー。トップバッターはヒマラヤ大通りに面した恵美寿屋のマスター、大内次雄(つぎお)さん。ニコニコ共和国時代は「ひげ殿下」として岳に君臨していた(?)。長年JICA訓練所御用達のおいしいピザの有名なお店にて、早速インタビューさせていただいた。


上京して洋食を学び、岳に洋食文化を広める

そもそも料理を始めるきっかけはなんでしたか?
「母親やじいちゃんがスキー場の食堂に忙しくて、親がいないから自分で料理してやってたんだよ。だから料理には子供のころから親しんできた。」

優しく語る次雄さん

なるほど。観光地ならではの理由ですね。それで恵美寿屋さんを継がれたんですか?

「いや、もともとここは居酒屋じゃなくて、八百屋だったりラーメンだけの食堂をやってたりしてたんだ。俺は東京に18の時に行って、もう帰ってくる気はなかった。だけど親父が倒れたから帰ってきたんだ。八年間東京にいて『ベニハナ』でステーキを,『ピザハウス』でピザを覚えてきた。」

恵美寿屋さんの名物ピザ


「26歳で帰ってきて、一年間ふらふらしてから店が始まった。初めは岳から郡山まで務めに行こうかと迷ってたけど、安一さん(元・陽日の郷 あずま館社長)や丸井菓子店の一郎さんに『どうせ家があるならやってみれば?』って言われてね。それで恵美寿屋が始まった。」

「俺は洋食を学んでいたから、観光地に合うかどうか分かんなかった。俺が戻ってきた時にはそれこそピザなんて誰も知らない。『洋風お好み焼き』って言われた。ドリアのことは『ミルク洋風おじや』だった。ちょうどブームであっという間に洋食が広まったけどね。」

「洋風お好み焼き」や「ミルク洋風おじや」というパワーワードに、こちらは思わず笑ってしまった。初めてそんな単語を聞いたものだから。

はい、閑話休題(笑)

ともかく、そのような時代に洋食を出す行動力がすごいと思った。自分は岳のこの地に洋食文化を広めた一人とお話ししているのだ。
お髭が白いけれど、はつらつと話す次雄さん。お元気で若々しかったので、ご年齢を聞くと72歳という。明日も病院だよ〜と笑っていらっしゃった。

お店の前での次雄さん


ニコニコだけじゃないニコニコ共和国時代


「新幹線ができることを聞いて、テニスコートやサイクリングルートを整備して『東北の軽井沢』にしようとしたんだけど、新幹線の駅が二本松にできなかった。それでみんなで呑んでて、『よし国作ろう!』ってなったのがニコニコ共和国の原点。」

ノリは大事ですよね(笑)。普通ならそこで『よし国作ろう!』とは思いませんが、そうでないのが岳の面白いところですね。
ニコニコ共和国時代の思い出はどんなものがありますか?

「自分も変装して別の人間になるのが面白かった。それと出前が忙しくてバイクでしょっちゅう店を出てたから、『道路パトロール隊隊長』もやった。コスチュームに合うヘルメットも自分で作った。」

一番奥が次雄さん。シブかっこいい。


「ひげ殿下」って名前をつけたのは、ニコニコ共和国が始まってからなんだ。みんな役職名を●●大臣って付けてたから、俺一人は、『ひげ殿下』の皇族から貰ってきてつけたんだ。その人が皇族を離脱するって時に恵美寿屋でも皇族ラーメンと離脱ラーメンを作ったら、面白がってテレビ局が取材に来てくれた。皇族はそばを食べる時に鴨で出汁をとるって聞いてたから、皇族ラーメンには唐揚げを入れておいた。」

ニコニコ共和国時代の次雄さんと女優の山本みどりさん


「離脱ラーメン」…いい響きですね。どんな人が食べたのか少し気になります(笑)
お話しだけでも十分楽しそう。

「初めの5年間は原宿並みに人が来てた。毎日のようにテレビ局も来てたね。でも6、7年経つとここの表通り(ヒマラヤ大通り)と裏通りの売上の差が開いてきて下火になってきた。」


愛され続けてJICA生たちの居場所に


恵美寿屋さんといえば岳温泉のすぐ近くに建つJICA訓練所との交流が盛んなイメージです。JICA訓練生限定の割引プランもありますしね。
JICAとのつながりは、どういったきっかけだったんですか?

「JICAの訓練所の人が恵美寿屋に来てくれて、飲み食いしてくれた後においしいからって後任の人にも伝えといてくれたんだよ。その後任の方もさらにその後任の方に伝えておいてくれて、その流れが10年くらい続いてJICAの人と交流するきっかけになったんだね。12人くらい乗っけられる車でよく訓練所まで送り迎えしたよ。」

「所長さんとも何人か仲良くなって、一緒にゴルフもしたんだ。先生方もよくうちで呑んでくれた。中には二本松の市街地で飲み会があってもわざわざ恵美寿屋まで来てくれたり。『お世話になりました』ってわざわざお土産を持ってきてくれる人もいたよ。そこにある象の彫り物の付いた絵も、わざわざザンビアから持ってきてくれたんだよ。」


大きくて立派なものだった。JICA訓練生が次雄さんを慕っているさまが、じんわり感じた。
また、JICA訓練生がその語学力を活かして作ってくれたという、アラビア文字バージョンの次雄さんの名刺やハングルのメニューもあるそうだ。「読めないけど、面白いからね。」と次雄さんは笑っていた。この朗らかな人柄にみな引かれんのやろな。

JICAの派遣生が任務後に持ち帰ってきたお土産の入った袋


また、恵美寿屋ではカエルのキーホルダーをお店によく来てくれたJICA訓練生に渡している。
緑色の小さい陶器の蛙。「無事カエル」という意味を込めているとのことだった。なんだか訓練生にとってのお父さんみたいだ。


次雄さんにとっての岳


次雄さんはいつもニコニコしていらっしゃるイメージがあります。毎日楽しそうにしている秘訣は何かありますか?

「趣味が多いことかな。ゴルフもスキーもやる。パチンコにも一時期凝ったことがあるな。」
「儲かったらお金あげるって言われたけど、全然くれないんだから取られちゃった取られちゃった。」と奥さんも笑っていらっしゃった。

岳の好きな場所を聞く。
「岳のここの通り(ヒマラヤ大通り)は大好きだぁ。提灯がついたとこなんか一番好きだった。」
「一時期、赤青黄色のカラフルなパラソルをこの通りの各商店や旅館からひらいて飾ったことがあったんだ。一斉にパッと広げたところを下から見上げると、きれいだったぁ」しみじみとそう言う。

これからの抱負は、ニコニコ共和国の全盛期のように1日中夫婦で働くことができなくなってきたため、ゆっくりゆっくり自分のペースでお店をやっていくことだそう。また隣の空き地でいちごを育てて三年目という。ニコニコされながら「育てるのが面白くて、いちごも可愛いんだぁ。」と次雄さん。いちごの植わったプランターが10個程あった。この空き地一面いちご畑になったら面白いですねというと、奥さんが「それ言わないで〜。調子づいていっぱい植えちゃうから」。一同笑った。

小学校四年生のころまで鏡が池で泳いでいたという。池から上がると寒い時は、すぐ近くの石碑に抱きついていたとのこと。そのころは水も綺麗で、クチボソを捕って食べたエピソードも話して下さった。

・岳の自慢
「昔は人情味があって、商売柄だけでないやりとりや結びつきが強かったこと」

・岳のいいところ「クーラーがなくても涼しいところ」

インタビュー後の記念写真。ハンソデと。


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