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『殺戮の宴』 1



※ 殺戮シーン、眼を覆いたくなるようなシーンがあります。閲覧注意。
※ 決して真似はしないで下さい。身の危険があります。


     1

 夕刻の気怠い気配漂う室内。カーテン越しに漏れ込む光が、控えめに置かれた調度類を不穏な黄土色に染める。
 ビシッ、ザクッ、ガッ……。
 肉体組織が破壊される鈍い打撃音が響き、その度に押し殺した苦悶の呻き声が上がる。ホゥワタアッ!! 奇妙な叫び声。打撃音。悲鳴。打撃音……。
 闇に蹲る手負いの獣のように、ひっそりと身を屈めて、立てた片膝を抱いた彼は、ほの明るいテレビセットに映し出される映像を、食い入るように見つめている。
 映像の中の“その人”は、悲しみを孕んだ修羅の形相で、雷電のごとき攻撃を繰り出し続ける。すでに数千回は見ている映像であり、次の瞬間にどこから何が現れ、その人がどう反応するのか、神のように正確に彼は知悉している。
 裂帛の気合いで繰り出される攻撃に完璧にシンクロして、彼の身体がピクッピクッとうごめく。もはや映像の中のその人は、完全な彼のアバターであり、彼の崇高な祈りをまさに体現するように、その人は宙を舞い、華麗な技を披露し続ける。
『燃えよドラゴン』……その人の遺作となったこの古い映画は、彼の聖典中の聖典である。人生における全ての大切なことを、彼はここから教わった。
 巨魁ハンとの死闘の前段階、地下の秘密施設で構成員を相手に繰り広げる激闘シーンを、彼は鑑賞している。
 諜報活動とは名ばかりの、自らの武道への探究心と闘争本能を満たす “宴” の為だけに、あえて危険に身を晒し、あえて鋼の筋骨が浮き出す上半身を晒し、哀れな雑魚キャラを駆逐してゆく。
 無名時代のジャッキー・チェンが、長髪を振り乱してその人の背後から飛びかかる。難なく引き剥がし、狂気すら滲ませるその人に完全に同一化し、全く同じ顔とポーズでジャッキーの首をひねり折る。ジャッキーの生々しい体温と、断末魔と、生命の火が消えてドサっと砂袋のように地に落ちる様子まで、ほとんどありありと体感する。
 人を殺めたばかりの何ともいえない興奮と喪失感が、暗い澱となって胸に満ちる。もうこれで、『プロジェクトA』も『ポリス・ストーリー』も世に出ることはないのだ……。世界の大スターを殺めてしまった自分の罪の深さに、彼は戦慄する。
 洞窟にシャッターが下り、囚われの身となった所で、DVDの再生を止める。最後まで観たいのは山々だが、時は迫っている。これから行う“秘儀”に最も適した時間は限られている。
 膝を抱えた姿勢のまま、しばし目を閉じ、全身に脈打つ闘争の余波を味わう。その人との同一感はいまだ続いており、アドレナリンは体内を巡り、敵に打たれた痛みすら身体のあちこちでうずいている。
 定期的に行う秘儀の前には、必ず自らの聖典である『燃えよドラゴン』を観ることにしている。その人の佇まいを再確認し、本能に忠実な自分の行為の是非を、改めて追求する。
 師父よ……憧れのその人に、彼は魂で問いかける……私の罪深い行いは、師父の意に沿ったものなのでしょうか……
 瞑目していた目を開け、痛みに耐えるようにすっと細めると、彼は立ち上がり、身支度を整える。いよいよ実行の時だ。軽い緊張と興奮を覚えながら、カーキ色のタンクトップにシャツを羽織り、暗色のカーゴパンツに脚を通す。
 同じくカーキ色の帆布のリュックを引き寄せ、中身を確認する。底に押し込んであった黒いベルベットの包みを開き、ひんやりする銃把の感触を味わいながら、青黒に鈍く輝く拳銃を手に取る。
 弾倉をスライドさせ、込められた弾丸を確認し、慣れた手つきで再び押し込む。両手でしっかり銃をホールドすると、オフにしたテレビ画面にうっすら映る自身の影に向かって、照準を合わせる。
 これから、彼は無辜の生命を殺戮することになる。
 身勝手な欲望から、多くの貴重な生命を暗黒の虚無に送り込む自らの所業に、疾しさを覚えないこともない。しかしこれは、大なり小なり、“みんなやっている”ことだ。この秘儀を経ることで自らの獣性を矯め、世界に向けるべき憎悪を紛れさせ、なんとか平穏に日常生活を送れている自分自身を、むしろ褒めてやりたいと思う。
 拳銃をベルベットで包み、リュックにしまう。立ち上がり、キッチンに移動し、一升瓶からガラスコップになみなみと日本酒を注ぐと、ほとんど一気にその香気漂う液体をあおる。
 もう一度装備をチェックしてから、リュックを右肩に背負い、入念に戸締りをする。
 屋外に踏み出し、玄関をロックする。生暖かい風が、酒精でほんのり赤味を増した頬をすり抜けてゆく。
 マンションの二階通路から街を見下ろす彼の表情には、逡巡を振り切った透明な晴れやかさが浮かんでいる。夢見るような視線を虚空に投げて、彼は夕刻の街へ歩を進めてゆく。

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