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『Sing a Simple Song』 2

     1(承前)

「恭二さん」
 ライブ終了後、ファンの女性たちとの会話が途切れるタイミングを見計らって、拓真は声をかける。
「おう、ちいちゃんに拓真、今日も来てくれてありがとうな」そう言って笑った彼、高瀬恭二は、二人に優しく頷いてくれる。
「ちいちゃん、今日も元気そうだな」
「は い。げ ん き です」
「今日もお天気でよかったな。ちょうど桜も満開だし。ちいちゃんお花好きだったよな。お花見していくのか?」
「は い。お は な だ い す き」
「今日の服、可愛いな。お花の妖精みたいだ」
「う ふ。 ふふ」
「なんだよ笑って。冗談じゃないぜ。本当に可愛いって。なあ拓真」
「どうだろう。恭二さん口がうまいから」
「ひでえな。ぜんぜん信用ねえんだな。生き方考え直さないとな」
 屈託なく話しかけてくれる恭二の少し翳のある端正な貌を、ちいちゃんは嬉しそうな微笑みを浮かべて見つめている。

 恭二と別れて、遊歩道をゆっくりと歩いてゆく。湖面に張り出すように枝を伸ばした満開の桜を右手に見ながら、さっきの恭二の演奏を心の中でリピートしている。
 恭二とは、何度かこの公園で逢ううちに親しくなり、彼の歌が大好きなちいちゃんの為に、月に何度か無料公園ライブをひらいてくれることになった。ネットでも告知しているようで、昔からのファンをはじめ、今ではかなりの人が集まるようになっている。
 以前から何度かボランティアで養護学校に歌いに来ていたそうで、顔を知っていたちいちゃんが公園で彼を見つけ、拓真に頼んで声をかけた。センスの良い服を着こなして、芸能人みたいなオーラを出している彼を、最初は怖い人なのかと思ったが、話してみるとそれまでの険のある視線が嘘みたいに、柔らかい表情で接してくれた。ちいちゃんのたどたどしい言葉を聞き取ろうとゆっくり向き合い、学校で聞いた歌が素敵だったと伝えると、本当に嬉しそうに笑っていた。
 バンドを組んでいたこともあるらしいが、現在はソロで活動中で、メジャーではないけれどCDも二枚ほど出している。拓真もこっそり入手して、何度も聴き込んでしまうほど気に入っている。
 音楽だけでは食べられないので、普段は駅前のショップで服屋の店員として働いているらしい。定期的にライブハウスやカフェでライブも行っているようだが、ほとんど夜なので小学生の拓真はなかなか行きづらい。
「レッツシンガソーング……」
 無意識に口ずさんでいることに気づき、慌てて口をつぐむ。身体中に満ちはじめた音楽を、オーディオの電源を切るみたいに意思をこめてかき消す。
 日がかなり傾き、桜花の色合いが濃くなってきた。
 細長い池の先端部分に架かるひょうたん橋で足を止めて、ゆっくりと景色を眺める。水面に枝を伸ばした桜の花越しに、奥に連なる樹々や桜を眺められる、お気に入りの場所である。
「き れ い ね」
 すぐ目の前で揺れている薄紅色の桜を見つめながら、ちいちゃんがつぶやく。
「うん。きれいだね。ちょうど満開だね」
「な、た く ちゃ の お に い ちゃ ん」
 同い歳のちいちゃんは、拓真のことを「たくちゃん」でも「お兄ちゃん」でもなく、なぜか「たくちゃんのお兄ちゃん」と呼ぶ。
「なに?」
「も う、う た わ へ ん の ん ?」
「歌う? なんで?」
「む か し、お じぃ ちゃ の お う ち で、う と く れ た で しょ? わ た し、た く ちゃ の お に い ちゃ ん の う た、だ い す き。ま た う と て ほ し な」
 京都育ちのちいちゃんの言葉には、柔らかい京都弁のイントネーションがある。毎年、夏と冬には京都のおじいちゃん家に里帰りしているので、拓真も京都弁には馴染みがある。
「そうだっけ? 忘れちゃったよ。もう歌なんか歌わないんだ。ダサいしね。そうだ、ちいちゃん、写真とろうよ」
 あえて話題を変えて、車椅子の後ろにひっかけてあるちいちゃんのバッグから、デジカメを取り出す。
「はい、いくよ〜。うん、いい感じ!」
 端で様子を見ていたニットキャップの男性が、にこやかに声をかけてきて、ツーショットの写真を撮ってくれる。「お〜良い笑顔だ!」男性の声につられて、二人はさらに笑顔になる。
「あ、めっちゃ良い写真!!」
 液晶に表示した写真を、二人顔を寄せ合って一緒にのぞき込む。薄紅色の桜花に縁取られて、淡い春の光に包まれて、拓真とちいちゃんは楽しそうに笑っている。
「な、た く ちゃ の お に い ちゃ ん」
「なに?」
「た く ちゃ の お に い ちゃ ん、きょ う じ さん の ギ ター と いっ しょ に う た う の よ」
「えっ? なに? そうなったら良いなってこと?」
「ち が う」ちいちゃんは微かに首を振る。
「た く ちゃ の お に い ちゃ ん、きょ う じ さん の ギ ター と いっ しょ に う た う の」
「そんなの、ある訳ないじゃん。あんなすごいかっけー人が、ぼくみたいなガキといっしょに歌うなんてさ」
「た く ちゃ の お に い ちゃ ん の う た、み ん な が き く の。み ん な が き い て、う れ し う れ し な る の」
 風が起こって、少しクセのあるちいちゃんの髪を揺らす。花の妖精じみた透明な笑顔を浮かべて、黒々とした綺麗な瞳で、ちいちゃんは拓真を見つめている。

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