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『Sing a Simple Song』 3

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 ああ、また奄美だ……と、拓真はぼんやり思っている。
 最近、何かにつけて、奄美大島のことが目に飛び込んでくる。雑誌を開くと奄美の特集をしているし、テレビを付けたら奄美出身の唄者が歌ってたりする。頂きもののパッション・フルーツのジュースは奄美産だったし、春休みに家族で見た映画の舞台が奄美であり、帰りの駅のホームにはでかでかと奄美の広告が掲げられていた。
 教壇では、担任の佐伯先生が奄美大島の話をしている。
 今は社会の時間であり、週に何度か視聴する教育テレビで奄美を紹介していて、その流れで旅行に行ったことがあるという先生の話がはじまった。鹿児島と沖縄本島のほぼ中間に位置し、亜熱帯気候で独特の植物や動物が数多く生息する。主な生産物はサトウキビで、黒砂糖や焼酎の原料になる……
「……くん。祷(いのり)くん」
 ぼんやりしていて呼ばれたことにすぐ気づけず、あわあわしながら慌てて立ち上がる。
「はい、授業中にぼんやりしないの。祷くんのお家は元々奄美大島なのよね?」
「はい。そうらしいです」
「里帰りとかするのかしら?」
「いえ。もう親戚同士の付き合いはなくなってるので、ぼくは行ったことありません」
「そうなの。それは残念ね。祷ってめずらしい名字だけれど、奄美にはたくさんいらっしゃるのかしら?」
「たくさんかはわからないけど、親戚はいるらしいです」
「はい、分かりました。どうもありがとう。祷くんもそうだけど、奄美には一文字の名字が多くてね、さっき言った薩摩の厳しい政策で……」
 京都に居るおじいちゃんが、奄美のことはよく話してくれた。
 たしか、ひいおじいちゃんの時代に、奄美から京都に出てきたと聞いている。京都で生まれた父さんは、東京の大学に進んで、そのままこちらで就職したので、拓真は東京生まれの東京そだちである。
 そんなに興味はなかったつもりだけれど、エメラルドグリーンのなんとも言えない美しい奄美の海の光景は、まるで幼い頃に本当に目にした風景のように、不思議な現実感をともなって胸の奥に存在する。その青い海を想うたびに、泣きたくなるような郷愁が胸に満ちる……。


「い〜のりくん」
 渡り廊下の鉄柱に右手を添えて、ぼんやり校庭の桜を眺めていた拓真は、呼びかけられて現実に引き戻される。教材を胸に抱えた歌子先生が、愛嬌のある顔に笑みを浮かべて自分を見つめている。
「祷くん、桜好きなんだ? ロマンチックなのね」
「べつに……。ただぼんやりしてただけです」
「そう? 桜の悲しみにシンクロしてるように見えたけど」
「桜の悲しみ?」
「すぐに散っちゃう運命にある桜の悲しみ。まあ、あたしなんかは“花より団子”で、桜見ると反射的にお腹空いちゃう方なんだけど」
 先生の話を適当に聞き流しながら、それとなく誰かに見られていないか確かめる。若くて可愛い歌子先生は女子にも男子にも人気があり、あまり親しくしていると面白く思わない者も多い。それが分かっているから、拓真の方は距離を取ろうとするのだが、先生はちっとも気にならないようで、こうやってよく声をかけられる。
「あ、プリントありがとね。いつも助かる」
「いえ」
 音楽の専任教師である歌子先生は、自分で編集しているらしい冊子やプリントを、よくみんなに配ってくれる。作曲家や歌に関しての情報が満載で、読み物としてもかなり面白い。女性一人で運ぶには大変なくらいの分量があったりして、拓真もたまに手伝わされる。
「歌子」という名前は本名らしい。「音楽の先生で歌子なんて、冗談にもならない」……と、本人はかなり恥ずかしがっているが、呼びやすいし何より面白いので、「歌子先生」という呼び名はすっかり定着してしまった。
「あ、待って、祷くん」すっと立ち去りかけた拓真を、先生は呼び止める。
「祷くん、本気で歌ってないよね。試験のときも合唱のときも。なんでちゃんと歌わないの?」
「ちゃんと歌ってますけど」顔は先生の方を向けずに、拓真は応える。
「う〜ん、音程はきれいに合ってるし、音楽の試験としては満点なんだけどね。ほら、3年生の時、木村先生のお別れ会で、結婚される先生のために、あなたがピアノ弾いてリードをとって、クラスのみんなで歌ったじゃない。あの時あたし、すっごく感動しちゃって」
 聞きながら、拓真はギュッと肩をすくめる。
「環 美帆の ”STORY” ! 木村先生泣いてたけれど、あたしももらい泣きしちゃったわよ。あたし環 美帆すっごくファンでね、デビュー前からずっとフォローしてるの。あの時の祷くんの演奏、感動したなあ。小学生の子がここまでできるんだって。なんであの時みたいに……」
「ねえ先生」
「ん?」
「人の気持ち逆撫でするねって、よく言われませんか?」
「えっ? 言われる! なぜなんだかよく分かんないんだけど……」
 先生のお天気キャスターみたいな可愛らしくて罪のない顔をジロっとひとにらみしてから、拓真は早足で渡り廊下を歩いてゆく。
「なんなのかしら?」
 少し首を傾げて、しばらく物思いにふけっていた歌子だったが、やがてにこりと笑うとのんびりした足取りで職員室に帰ってゆく。



玉木美帆 “STORY”



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