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春は遠き夢の果てに 逢谷絶勝(四)

     四

 梅祭りの会場を後にし、軽くブレーキをかけながらエメラルドグリーンのママチャリで坂道を下ってゆく。梅林は丘陵に沿って続いているので、ほとんどこぐこともなく県道辺りまで行き着くことができる。
 途中、ちょうど美佳も眺めを楽しんだ、遠望のきく地点で止まり、景色を確認する。今年は梅の当たり年のようで、何本かの枝は既に満開をむかえ、鈴なりの花弁が眩しいくらいの白さで咲き誇っている。
 見ごろはあと一週間ほど先だろうか……。健吾は少し焦りを感じる。
 あれから毎日、中之辺、市来、両地区の梅林を巡っているが、今まで把握していた以上の鑑賞ポイントは見つけられないでいる。
 同時に、つてを頼って地元の古老を訪ねたり、図書館で文献をあたったりするも、興味深い知識は多数得られるものの、今現在の大谷を観光案内するための新情報は、ほとんどないと言ってよかった。
 この大谷梅林が、かつて全国有数の規模を誇る景観地であったのは確からしい。
 江戸時代の初期から中期にかけて盛んに植えられるようになり、「烏梅(うばい)」という紅花染めの色素定着剤として使われた加工品の需要が高まったこともあって、江戸後期には既に、現在とは較べ物にならないくらいの広大な梅林が存在していた。
 明治の初期に一時衰退するも、地元の「梅林保勝会」の努力もあって、明治の後期から昭和の初期にかけては、全国版のガイドブックでも紹介されるほど、人気のある景勝地であった。一説によると、昭和初期に植えられていた梅の本数は十万本に達し、花の季節には乗合バスや売店も多数出て、多くの花見客で賑わったという。現在の山城大谷駅は、もともと花見の時季だけの「臨時停車場」として開業したものらしく、なるほどこの駅だけ旧街道よりぽつんと離れた場所に造られている。
 衰退の要因となったのは、まず第一に太平洋戦争。食料増産政策の下、実に六割もの梅樹が掘り起こされ、麦や芋などを栽培し、供出することを強制された。
 次に、昭和四十年代以降の、山砂利採集と宅地造成。戦後、焼酎ブームにより青梅の需要が高まり、新たに開墾もされ一時期復興するも、梅事業そのものの収益減に加え、大規模な山砂利採集業によって周囲の山容そのものが変貌してしまい、かつての繁栄は見る影もなくなってしまった。
 健吾自身、この地を郷里として育った者として、現在の梅林を他者に誇れるような気持ちはほとんど持てていなかった。幼い頃、祖父や両親に連れられて、弁当持参で花見に行ったことは何度かあり、それはそれで良い想い出なのだが、あくまでも近所の公園に行くような感覚で、特別な景勝地が身近にあるとは、どのような意味でも考えたことはなかった。
 一方、砂利採集の跡地については、普段意識しないまでも、心の原風景として胸の奥にこびりついている。
 小学生の頃、写生授業の為、野戦地の様に荒涼とした風景の中を数キロ歩かされて採集場に赴き、大量の土砂を振り分ける巨大で怪異な採集機を写生した時の記憶を、健吾は今でもありありと思い出せる。はっきり口にはしなかったものの、穏やかな自然環境が現在進行形で失われてゆく状況を、子供たちに肌で感じさせようという意図が、教師たちにはあったのかも知れない。
 当たり前の光景として、ことさら問題意識を持つこともなく生活しているものの、どこか悔悟に似た漠然とした申し訳なさは、確かにずっと抱き続けてきたようだ。
 再び自転車にまたがり、ゆっくり坂を下ってゆく。梅林を抜け、県道に続く観光ルートを左に折れ、緩やかにカーブする田んぼ沿いの小道を進む。
 ほどなく、すぐ左手にある小山が仰げる、公園というにはささやかすぎる、ブランコだけが設置された小さな広場に至る。
 これが天山だと教えられて、健吾は少し意外な気がした。天を衝く……とまではいかないまでも、もう少し見栄えのする山容を想像していたのだ。
 標高104メートルというから、山というよりは丘に近いかも知れない。独立した山ではなく、町の東側を覆う山並みのピークの一つという形だ。
 昔はよく遊んだものだという、自転車屋の小母さんから登頂路を聞き出し、実際に登ってもみた。おそらく観測のためか、人の行き来はあるようで、路は失われていないものの、草は伸び放題で、手足でかき分けながらでないと進めない。十分ほどでたどり着いた頂上も、雑木が生い茂り、西方向のほんの一部分にしか眺望も開けていなかった。
 かつてこの天山はハゲ山で、北から南まで180度以上のパノラマを堪能できたという。頂上はちょっとした広場になっていて、ベンチもあり、大谷に暮らす人々の良い憩いの場であったようだ。
 視界をさえぎっている樹木が全てなく、今は失われた北方向の山影が存在し、そして眼下の斜面一帯に十万もの梅樹が満開の花を咲かせていたとしたら……。それはさぞかし素晴らしい光景だったろうと、想像するのは容易だが、追憶の光景が美しければ美しいほどに、やりきれない喪失感はいや増してしまう。
 ふっとため息をつき、健吾はまた自転車をこぎ出す。
 あれから一週間ほどになるが、美佳からまだ連絡はない。
 案内したいとは申し出たものの、美佳の懸念したとおり、一番美しかった頃の記憶を秘めている女性(ひと)に、現在の大谷を再訪してもらっても、失望を与えるだけなのかも知れないと、健吾は少し弱気になり始めている。路は荒れているものの険峻ではないので、天山にも登ってもらうことはできるだろうが、高齢の女性にそんな労苦を強いる価値があるとはどうしても思えない。
 花の多い見晴らしスポットを繋いで、頭の中で幾通りかの観光ルートを組み立てているうちに、いつの間にか白壁の酒蔵を通り過ぎてしまったことに気づく。苦笑しながら自転車をターンし、「大谷酒造」の看板が掲げられた門柱を通って敷地に入り、家族用の自転車置き場にグリーンのママチャリを停める。
「お早いお帰りですなあ、健吾さん」
 背後からかけられた声に、健吾はギョッと身を固くする。
「あ、おばあさん、ただいまあ」何やら意趣をたっぷり含めた刺すような視線に気付かないふりをして、愛想よくにっと笑って見せる。
「昼の日中(ひなか)からふらふらと、ええご身分ですなあ。どこで何してきはりましたんや」
「いやあ、ちょっと頼まれごとでね、あれこれ調べものがありまして」
「なんや最近、トメさんとことか岡井さんとことか、梅林のことやら何やらあれこれ聞いて回ってるそうやないの。ほんま体裁の悪い」
「あらあら、聞いてはりましたか」
「自分の身の振り方もよう定まらんもんが、人様の御用うけおうてる暇(いとま)ありますのんか」
「ほんまですねえ、なんとかせないけませんねえ」
「ほんまあんたはのらりくらりと」
 思い切り渋面をつくって見せる祖母の美佐を、健吾は苦笑しつつ見返す。もう八十に近いはずだが、まだまだかくしゃくとして背筋も伸びている。普段でもきちんと着物を着こなし、容赦なくきっと他者を見据える眼光には、思わず居住まいを正してしまうほどの迫力がある。
 気ままにいくつもの道楽をたしなみ、一向に商売に身が入らない祖父に代わって、この祖母が粉骨砕身して店を切り盛りしてきたらしい。既に経営からは退いてはいるものの、いまだ社内を巡ってはあれこれ口を出し、緩みがちな雰囲気を引き締めている。
「なあ。おばあさん、前の店にさあ、じいちゃんが撮った梅林の写真、飾ってあるやん?」
「そんなもん、ありましたかいなあ」
「あんねん。あれって何処で、いつ頃撮ったもんなんか分からへんかなあ。めっちゃええ写真撮れた! って、自慢してたこととかなかった?」
「知りまへん」
「う~ん。じゃあ例えば、一緒に梅見に行ったとか、誘われたこととかは?」
「ある訳ないやないの。あの人いっつもふら~って独りで出かけて、独りでええこと楽しんできて」
「やっぱりですか」
 想像した通りの応えが返ってきて、思わず苦笑する。「ばあちゃんには内緒やで」がほとんど祖父との合言葉のようになっていて、二人で「悪巧み」と称していろいろな遊びに興じたことが、懐かしく想い出される。祖母を本当に疎んだり避けたりしていた訳ではないのだろうが、誘い甲斐のない女性だったことは間違いないようだ。
「そういう嫌なとこ、全部あんたは似てしまいましたなあ、健吾さん」
「なあ、おばあちゃん」頭をぽりぽりかきながら、健吾は照れ臭そうに微笑む。
「今度さあ、おれと一緒に、梅見に行かへんか? 今めっちゃ綺麗な時季やで」
「何ですのんいきなり。ご機嫌とりでっか?」
「ちがうよ。じいちゃんな、ほんまはおばあちゃんと一緒にいろんなとこ行きたかったんちゃうかなあって、今ふと思ってん。だから、おれが代わりにって」
「遠慮しときまひょ。あんたと違ごて忙しい身ぃでっさかい」
「うん、気が変わったらいつでも言うてよ。時間だけはたっぷりあるからね」
 まだ何か言い募る美佐を「はいは~い」と受け流し、駆け足で店舗とは別棟になっている母屋の玄関を上がって、自室に入る前にコーヒーを淹れるべくキッチンに向かう。
 お湯を沸かしながら、陶製のドリッパ―にペーパーと豆をセット。無心に単純作業をこなしていると、気持ちをリセットできる。そういえば、このコーヒーセットも、祖父から受け継いだものだ。あの時代の人にはめずらしく、なんでも自分でやる性質(たち)で、手ずから淹れたコーヒーを美味そうにすする姿をよく覚えている。
 芳しい湯気を立てる褐色の液体を大ぶりのマグカップに満たし、階段を上って二階の自室に向かう。自室といっても、もともと使っていた部屋は、十年の放浪の間にすっかり物置と化していて、今は祖父の部屋を間借りさせてもらっている。
 街道に面した六畳の和室で、読書家だった祖父の蔵書で溢れている。きっともう読む者もいないのだろうが、なんとなく名残惜しくて誰も手をつけられずにいる。
 健吾は、コーヒーを文机にのせると、窓際に置いた黒革張りのアンティークなソファに腰を降ろし、ギブソンのアコギを手に取る。この二つだけが健吾がこの部屋に持ち込んだ物である。
 何を弾くでもなく、ポロポロと手馴れたコードを爪弾いてゆく。サンバースト色の大ぶりのボディに響く豊かな和音を聴いていると、それだけで心はゆったり沈静化してゆく。
 祖母に言われるまでもなく、不甲斐ない人生を歩んでいることは、自分が一番よく分かっている。
 いろいろな場所で、いろいろな仕事をしてきたけれど、どこもそれなりに楽しくこなすことはできた。気さくで話し好きなので、どこに行っても容易に仲間と打ち解けることができ、社員に誘われることも多かった。しかし、そのまま生涯をその仕事に捧げるイメージがどうしても抱けず、いつも逃げるようにせっかく馴染んだ職場を後にすることになる。
 どれだけ言葉を費やしても理解はしてもらえないのだろうが、健吾には根深い“異物感”があった。ほんの幼児の頃から、自分は周囲の人たちとは違う種類の人間で、根本的な部分から価値観も理解力も違い、決して解り合うことはできない……という理由のない、しかし確固とした諦念を、感じ続けてきたようだ。暖かい仲間に囲まれて、楽しそうに振る舞っていても、心は冷たい孤独感に苛まれていたりする。
 のんびりした印象から、決して他者に悟られることはなかったが、彼には自殺願望があった。何かに絶望して、という悲嘆的な部分は少なく、本当に自分のような者にも産まれてきた意味があるのなら、簡単には死ねないだろうという、ある種「運命への反抗」的な心の動きだったかも知れない。
 幸いいつもおバカな結末に終わり、ある自殺名所の岸壁を訪れた時など、どうも“同志”らしき先客がいて、ぽつぽつ言葉を交わすうちに意気投合し、そのままツレになってしまったこともある。
 自己と社会の関りについての悩みなど、きっと誰でも心中秘めているのだろうし、現実社会で生きてゆくには、もろもろ妥協して働いて現金収入を得ねばならないことも、解り過ぎるほど解っている。煮え切らない自分の生き方を、甘えだとか現実逃避とか言われるなら、きっとそうなのだろうと思う。
 ギブソンをスタンドに立てかけ、旧店舗から部屋に持ち込んでいる梅林の写真を手にとって見つめる。
 この眺望が、どこで得られたものなのかも、いまだ判らずにいる。
 祖父が遺した写真アルバムは全て調べてみたが、家族で梅見に行った際のスナップは散見されるものの、額装写真のような視界一面に梅花が広がる光景はどこにもみつからない。押入れから引っ張り出した数千のオーダーにのぼるネガフィルムも、個別の包み紙に記されたメモを見る限りでは、らしきものはなさそうだった。
 やはり、大谷梅林ではなかったのかも知れない。きっとどこか旅先で遭遇した風景を、在りし日の大谷梅林に重ねて店頭に掲げていたのだろう。
 梅林の案内、どうするかなあ……と、健吾は何度目かの逡巡を頭にめぐらせる。郷里に自信が持てないままに案内役を買って出ても、中途半端になるのは目に見えているし、何より、健吾は美佳に本気で惹かれ始めていた。彼女の長い黒髪と、感情をよく表してくるくると動く黒目勝ちの瞳を想うだけで、思春期みたいに左胸に甘い痛みを感じる。
 あんなに愛らしい娘がいるのだ、きっと旦那も、絵に描いたような良いパパ……イケメンでイクメンで、当然ながら平均以上の定期収入もある、すごくいけ好かなくて良いヤツなのであろうと、ひがみを多分に含んだ妄想はふくらむ。
 好ましい女子に出逢うと、反射的に自分の不安定な立場を想起して、すっと身を引いてしまうところが健吾にはあった。しかも今回は彼女自身もキャリアを持っている既婚者である。太刀打ちできるはずがない。
 旅にでも出るかあ……とひとりごちてから、「寅さんか」と自分で寂しく突っ込む。
 ちょうど“自殺同志”の中井というツレが、今は八ヶ岳のさる農業法人にいて、君も来ないかと誘われていたりする。実家への寄生もそろそろ限界であり、旅立つには良い潮時かも知れない……
 ふと、『きょうりゅうのほん』という言葉が頭に浮かぶ。
『きょうりゅうのほん』?? 誰かが言っていた……? そうだ、優希ちゃん。『きょうりゅうのほんのよこ』?? 『じいちゃんが』??
「きょうりゅうのほん!!」
 思わず叫んで、弾かれたようにソファから身を起こすと、一心に祖父の本棚を探る。手前に横積みにしてある本をどけて検索すること数秒、その本は、記憶どおりの場所にそのままあった。
「原色化石図鑑」。アンモナイトや三葉虫をはじめ、さまざまな古代生物の化石がフルカラーで掲載されているこの本が、幼時の健吾は大好きで、「きょうりゅうのほん」と呼んで、祖父にせがんでよく見せてもらっていた。
 懐かしさのあまり、手にとってパラパラとめくって見るも、今の目的はこれではないことにすぐ思い至り、視線を本棚に戻す。
 ぱたん、と音をたてて、一冊分空いたスペースにその本が斜めに倒れかかる。
 背表紙の文字は「逢谿絶勝」と読める。
 背筋があわ立つ静かな興奮を覚えながら、ゆっくりと手に取る。薄手の、ほとんど茶色に変色した古びた冊子で、損傷に気をつけながら頁を開いてみる。
「大谷」はもともと「逢谷」の地名が転じたものらしく、大谷梅林の紀行書であることは間違いないようだ。旧仮名使いの紀行文と、漢詩、絵図が順番に記載されており、なんとか大まかな意味は把握できそうだ。
 最終頁に折り込まれた「逢谷梅林散策絵地図」。しばらく無心に見入っていた健吾は、驚愕の表情を浮かべると、ダッシュで部屋を飛び出してゆく。

 48分後、健吾は部屋に戻ると、息切れも治まらないままに、カバンに入れっぱなしだったメタリックグリーンの携帯を取り出し、震える指で美佳にコールする。
「おかけになった携帯は、電波の届かない場所にあるか……」無味乾燥な女声のアナウンスを40秒ほど聞いてやっと意味を理解し、「ああっ」と叫んで二つ折りの携帯を閉じる。後でかけ直すという悠長な選択肢は問題外で、いっそ押しかけてやるかと灼熱した頭で考えていると、階下から遠慮がちに呼ばわる声が聞こえる。
「……吾さ~ん、事務所の方に、杉吉さんっていう方からお電話なんですけれど」
 最後まで聞かずに三歩で階段を駆け下り、のけぞる女性事務員の横をすり抜ける。自転車に乗った高校生と衝突しそうになりつつ道路を横断し、事務所の電話をワシ掴みにするも、保留の解除の仕方が分からず苦笑している事務員の到着を待ってやっと受話器を耳にあてる。
「もしもし健吾さん? ごめんなさいね、お店の方に電話しちゃって。今おばあちゃん家にいるんだけど、すごい田舎で携帯の電波届かないのよ」快活な美佳の声が、電話の向こうで話している。
「後でかけ直せばいいんだけど、どうしても今お伝えしたくって。あのね、おばあちゃんに話してみたらね、ぜひ健吾さんに、梅林の案内お願いしたいって。現状なんかもよく説明したんだけど、それでも良いですからって、九十年も生きてたら、ちょっとやそっとじゃ驚きも失望もしませんよ~って笑ってるの。どうかしら、健吾さん、お願いできる? もしもし、健吾さん? 聞いてる?」
 ぐすぐす泣いているのを悟られるのが嫌で、健吾は何も応えられないでいる。


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