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『殺戮の宴』 11

     9 

 吸引した血液は腹部に満ち、もう限界は近い。そろそろ“けり”をつけないと、終焉のタイミングを失してしまう。
 しかしやはり、意識が同化した蚊を殺めるのはリスクが大きすぎる。まさか彼本体まで連動死することはないだろうが、圧死の苦悶をそのまま味わうのではないかという恐怖がある。
 ここはそっと逃してやろう……彼は長時間のブリッジで疲労した両腕をフルフルさせながら決意する。
ーー いくじなし ーー
 えっ?
 誰かの思念が、脳裏に閃いた気がする。
ーー あなたはいつもそう。肝心なところでスッと身を引いてしまう ーー
 お姉さん、誰だか知らないが、俺の人生に“肝心なところ”なんてあったためしはないんだ……彼は独りごちる。
 ずっと薄っぺらな、なだらかな道を歩いてきた。逃げばかりの人生。俺なんか、いてもいなくても同じ。誰にとっても……きっと世界全体にとってもそうなんだ。
 違う。違う……?
 そうだ、一度だけ……たった一度だけ、ちゃんと人と触れ合ったことがあった。女子になど全く縁がなかったと思い込んでいた人生だが、温かい触れ合いを持てたことが確かにあった。
 大学時代、映画サークルの先輩、小牧さんという女性。ぽっちゃりして、美人ではないが、控え目な優しい笑顔はちょっと可愛かった。
 ちっとも熱心ではなく、参加しても隅っこで無愛想に押し黙っている彼に、なぜか気さくに話しかけてくれた。好きな映画に『燃えよドラゴン』を挙げると、「あたしもあれ好き!」と笑ってくれた。
 夏休み前の飲み会の後、なぜか二人きりになっての帰り道、自分のアパートの前で彼女は「寄ってく?」と声をかけてくれた。
「いえ、帰ります」すげなく答える彼に、彼女は静かに笑って手を振ってくれた。しかし、それ以降二度と、今までのようには話しかけてくれなくなった。
 もしかして俺、誘われてたのか?
 そうだよ!!
 まあこれくらいの機会、またあっだろう。
 二度とねえよ! 少なくてもそれから十五年はな!!
 無神経極まりない愚かな過去の自分に、思いっきりツッコミを入れる。
 俺は……好きだった? そうだ、好きだったんだ。ふくよかな頬をほんのり桃色に染めて笑う、小牧さんの笑顔がとても好きだった。
 一瞬の逡巡が、大切なものを永遠に遠ざけてしまう。

ーー 考えるな。感じるんだ! ーー

 純白の道着を身につけた輝ける師父が、脳裏で呟く。

ーー お前はどうしたい? ーー

 俺は……俺は……。クワっと目を見開く。
 その先を知りたい! その先にどんな感覚が待っているのか、この敏感ボディで味わってみたい!!
 現実に意識を戻す。燃えるような痛痒さと渦巻くような快感が、腰の一点から楔(くさび)を打つようにズンズンと響いてくる。Pさんは各種の刺激を受けて、今までのレベルを遥かに超えて硬く大きく充血し、トクトクと脈打っている。
 限界を超えた吸血。満足感。産卵へ向かう本能……
 今だっ!!
「ほはっ!!」
 力を込めて身体を跳ね起こし、両手をフリーにする。上半身だけ宙に浮いた不安定な状態。勝負は一瞬。全身全霊を込めて、両手で自らのPさんを挟み込むようにして殴打する。
 バチッ! 激しく鈍い打撃音。飛び散る血潮……

「はうぉうっをぅ〜〜ぅ〜〜〜るぉうぅ〜〜〜ぅるんぅ……」
 人のものとも獣のものともつかない啼き声が、暗みを増してゆく山間に響き渡る。それは、ツンドラに轟く狼の咆哮のように、聞く者の魂を揺さぶる哀切の響きに満ちていた。

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