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『Sing a Simple Song』 4

     3

 終礼が終わって、慌ただしくランドセルに教科書を詰めていると、窓際の席からメガネをかけた少年が駆け寄ってくる。
「タクマ〜、今日うちで新しいゲームやるんだけどさ、タクマも来ねえ?」
「あ〜ごめんヒナタ、今日従姉妹のちいちゃん迎えに行かないといけなくて、おれ行けないわ」
「なんだよ。今日水曜日じゃないよな?」
「うん。おばさんが忙しいみたいで、たのまれちゃって」
「なんで〜。じゃあしょうがないな。また今度な」
「うん。また今度な」
 ホワチャ〜っと叫んで、最近二人の間でブームのブルース・リーごっこでふざけあってから、手を振って別れる。
 横で話しを聞いていた貴生(タカオ)たちのグループが、意味ありげな視線を投げかけてくるが無視する。「結婚」とか「ラブラブ」とか、聞こえよがしに呟いてはクスクス笑っている。
「そうだ、タクマ〜!」教室を出かけた拓真を、ヒナタが呼び止める。
「なに?」
「ピアノの先生がさ、もうほんとにピアノやらないのか聞いといてくれってさ」
 一瞬考えてから、キッパリと答える。
「やらないよ。もうやめたんだ」
 ずしりと重いランドセルを背負って、何かを振りほどくように、教室から溢れてくる下級生たちをすり抜けながら廊下を走ってゆく。

「あ〜あ、ゲームやりたかったな」
 テレビCMでやってた、人気アクションRPGの映像を思い浮かべながら、拓真はつぶやく。みんなで楽しんでいる友達の様子を思うと、ちょっと胸がうずく。
 もう2度ほどクリアしたゲームをもう一回やろうか、などと考えながら、マンションの三階にある自宅に戻り、ランドセルを置いてからすぐにまた家を出る。
 ちいちゃんの養護学校までは、急ぎ足で十五分ほどかかる。神社の境内とか水路の脇道とか、徒歩でしか行けない秘密の抜け道を通って、ズンズン距離をかせいで行く。
 ちいちゃんとは従妹同士であり、ほんの小さい頃から、京都のおじいちゃん家に里帰りするたびに会っていたので、彼女が不自由な身体を持っていることが、特別だとは思っていなかった。初めはおずおずと様子を見ながら家の近所で遊んでいたが、次第に大胆になり、大人が見たら目を回すほどスリリングな遊びを、他の従兄弟や近所の悪ガキたちと一緒にしていた記憶がある。
 小さい頃は介添えがあると歩くことができたのだが、数年前に腸の疾患で大きい手術をしてから、すっかり全身の活力が落ちて、一人で立つことも難しくなった。
 京都生まれのちいちゃんが、こちらに越してきてもう3年ほどになる。
 離婚をして家を移ることになった清江おばさんが、全く環境を変えたくなったからと、兄である父さんを頼って東京に出てきたのだ。ちょうど近くに設備の整った養護学校があったのも大きかったらしい。
 引っ越して間もなく、ちいちゃんが腸の病を発症し、繊細な彼女にストレスを与えすぎたのではないかと、おばさんは悩んでいたようだが、幸い病が癒えてからはみんなが新しい生活に順応し、穏やかな日々が続いている。
 仕事があるおばさんの負担を軽くするために、週に一日だけ、拓真がちいちゃんのお迎えを手伝うことになった。
 ちょうど習っていたピアノをやめたタイミングだったので、拓真にとっても都合が良かった。それまでは、レッスンがない日も時間があればキーボードに向き合っていたので、ぽっかり空いた時間をつぶせる用事ができたことはありがたかった。

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