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『殺戮の宴』 2

     1(承前)

 近くの市立小学校から、17時を知らせるベルが響いてくる。彼の家からもグラウンドが望め、風向きによっては子供たちのはしゃぎ声や学校行事の音が伝わってくる。
 クラブ活動でもしていたのか、下校する数人の女児たちが楽しそうに語らいながらこちらに歩いてくる。怪しまれないように充分気を使いつつ、チラ見して一応容姿を確認する。Aが二人にBプラスが一人。すごい。かなりのレベルだ。彼が子供の頃は、もっと十人並みという以上に庶民的なやつばかりだった気がする。時代の変化なのかDNAレベルで変質が起こったのか、最近の子は色々な意味で末恐ろしいと、充分すぎる距離をとってすれ違いながら彼は考えている。
「こんにちは〜」
 辻々に佇んで監視の眼を走らせているボランティア父兄の一人に声をかけられ、軽く会釈を返す。顔はにこやかだが眼は笑っておらず、彼女の中で自分が危険度5段階評価の3あたりに認定されたことが分かる。無理もない。平日の夕刻に、不穏なごついアーミーブーツを履き、あきらかほろ酔いなのに目つきは鋭く、イメージの中とはいえ人を縊り殺してきたばかりの殺気を漂わせている自分は、善良な市民が暮らしを営む穏やかな郊外の街では明かに異物だ。
 ふん、安心するがいい……彼は心中で監視隊の女性に語りかける……お前たちの大切なパピーちゃんに危害を加えるつもりは、どのような意味でも全くない。師父の忠実な弟子である自分は、師父の顔に泥をぬるような真似は絶対にできないのだ……。
 不意に彼の貌に浮かんだ微笑みに何かを感じたのか、女性は慌てて目を逸らす。
 小学校エリアを抜けて、駅前の大通りに向かう。もっと人通りが少ないルートもあるのだが、この時刻だと賑やかな通りの方が逆に目立たず移動できる。
 あるビルの対面に設置されている自販機で缶コーヒーを買い、そのままなにげにフェンスにもたれてコーヒーを飲む。時折軽く時間をチェックしながら、あくまで小休止する兄やんの体でぼんやり周囲を眺めている。
「あっ、出てきた」思わず声に出して呟いてしまい、慌てて口にチャックする。
 トレーニング・ジムが入った雑居ビルのエントランスから、一人の女性が出てくる。ジムで一汗流してきたばかりのようで、シンプルでラフだが洗練された洋服を身につけ、ナチュラルメイクの上気した顔に微笑みを浮かべている。そのスリリングなほどのキュートさに、思わず彼の頬も上気する。
 こちらの視線に気づいたのか彼女が振り向き、慌てて眼を逸らす。きっと男性のぶしつけな視線には慣れているのだろう、特に不審がる様子も通報する仕草も見せず、幸せそうな微笑みを浮かべたまま、肩までの長さのボブカットを揺らせて、軽快な足取りで歩み去ってゆく。
 ガン見しないように意識しつつ、見送る彼女の華奢な背中に、確かに天使の羽根が見えた気がした。
 彼女を知ったのはほんの偶然だった。今日と同じく、秘儀へと向かう彼の胸に、ケータイを見ながらジムから出てきた彼女が、思いっきりぶつかってきたのだ。
「キャッ!! ごめんなさいっ!!」
 衝撃で取り落としてしまった彼女のケータイを、拾って手渡す。画面が割れていないか確認した際、カレシらしき人物とのお別れトークが目に入ってしまうが、気づかないふりをする。
「ごめんなさい。ほんと大丈夫でしたか……?」
 涙目で謝る彼女に軽く頷いて見せ、彼は師父そのままの渋面を作って歩き出す。勿論、不機嫌なのではなく、見たこともないような美女が一瞬とはいえ胸の中に居たという現実に、どう対処して良いのか分からなかったのだ。
 衝撃のあまり、結局その日は秘儀を行わず、海辺に出て体育座りして2時間ほど夕陽を眺めて過ごした。
 予想通り、同じ曜日のほぼ同じ時間に、彼女はジムを終えて出てくることが分かった。以来、「出待ち」では決してなく、「たまたま」散歩の小休止の際に、彼女を見かけることが多くなった。報われることのないデザート(不毛地帯)な人生を送る彼にとって、理想がそのまま3D化したような彼女との逢瀬は、ささやかな慰めであった。
 角を曲がって見えなくなるまで、彼女の後ろ姿を見送る。顔面がしどけなく緩んでいることに気づき、気合を入れてドラゴン・モードに切り替える。
 ふっとため息をついて、残っていた缶コーヒーを一気に飲み干し、ゴミ箱に捨てる。左胸にうずく微かな痛みを感じながら、彼女とは反対方向にきっぱりした足取りで歩き出す。
 ふん、安心するがいい……彼は心中で彼女に語りかける……。あんたに危害を加えるつもりは全くない。ストイックな師父の忠実な弟子である自分は、色恋沙汰に身をやつしている暇など寸毫もないのだ……
 あえて師父の鋼のような筋骨をイメージして、彼女のエンジェルさながらの甘い容姿を脳裏から締め出す。意識をこれから行う秘儀に集中させつつ、“この道”だけは女たらしのローパーに弟子入りしてえよなあ……と、心の片隅でしっかり愛を叫んでいる。

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