社交不安障害なったというのを知ってからの話
自己紹介
はじめまして、今年からデザイン専門学校に通っている
躑躅(つつじ)というものです。
自分の病名が分かる前と後では、意識 が変わったことについて
ふれようと思います。
社交不安障害とは
昔は、あがり症とひとくくりにされていましたが
人前で注目が集まるような状況で、強い不安や恐怖、
緊張を感じ、何か失敗して自分が恥をかくのではないか
という心配や強い不安を感じるのは、病気だそうで。
症状としては、恐怖感や不安感を強く感じてしまい
極度の緊張と共に、赤面、大量の汗、動悸といった
身体症状があらわれて、過剰に「失敗したらどうしよう」
「恥をかいたらどうしよう」という思いにかられ、
次第にそうした場面を避けることにより
日常生活を避けるようになってしまうとのこと。
診断を受ける前
最初に教室に入ることが怖くなったのが中学三年の夏の終わりごろで
それからすぐに不登校になりました。
当時の症状としては、教室に入ろうとするだけで 鼓動が早くなったり
呼吸が苦しくなったり、体が硬直したり,冷や汗が止まらなかったり
人と対面したときは、言葉が出なくて 会話にならなかったり、目を合わせるのをためらっていたり 話せたとしても 声がとても小さかったと思います。
両親の反応は、ぶちギレ 主に父が怒り狂っていました。自分の息子が毎日 中学校をさぼっていると思って
「なぜ教室に入れないのか?」 「そんなに勉強するのがいやなのか?」
「高校はどうする?」
そういう毎日でした。
そのことを先生に相談したら、、、
「今のお父さんの息子さんへの対応は間違っている」
ある日、一人の先生が 家に来てくれて
「今のお父さんの息子さんへの対応は 間違えていますよ」
とはっきり言ってくれてそれから大体、、、一時間くらい
喧嘩というか討論 みたいなのが続いて最終的に父が折れて
くれて 考えを改めて接してくれるようになりました。
不登校の状態なのが自分だけではなかったらしくて 中学校
の方も別室を用意してくれて秋のはじめぐらいから少人数で
授業を受けさせてもらって、高校も無事に決まって 中学校を
卒業するまで落ち着いて生活できました。
高校に入学
高校は、自分みたいな症状がある人にも門戸開いてくれている
通信制でとても通いやすいとこでした。ですが自分の試練もあって
それが、、、
電車通学
というもので狭いスペースに人が密集している状況があまり
にもきつくて自分を保てそうになかったです。
どう対処したかというと、帽子を深めにかぶって視野を制限して
イヤホンで音楽を聴いて耐えるという感じで それでもきつい
毎日でした。
高校の生活では、保健室の先生がいることを許してくれて
保健室が学校での自分の居場所になってました。
診断を受けた後
受けた時期は、高校二年の冬ぐらいでその時に
社交不安障害と診断されました。
当時の私には、この症状の正体が知れたことだけでも
大きなことでした。自分は、こういうのを持っている
人間なんだと思えるだけで あらゆる症状が一つの病気
によるものだと理解して、落ち着いて対処できるように
なりました。具体的には ヘルプマークを持ったり
これから 人の多いところに行くとわかっていれば
病院からもらった 頓服薬を事前に飲んでおくなどの対処が
できてきて診断を受ける前よりも
生活しやすくなりました!
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