「思想を押し付けてはいけない」←なにそれ?

私の好きな漫画家が「思想を押し付けてはいけないという当たり前のことが出来ていない人がいる」という内容のツイートをしていた。

このツイートの意図を汲み取ると、「思想=人の強烈な考え、押し付け=強要」で、例えば「自分は反出生主義だ、他人も反出生主義になってもらおう」という言動は駄目だよということだろう。

しかしだ、反出生主義の人の立場になって考えてみよう。この人は何かをキッカケに出生に対する反対意識を持ち、自分なりに情報収集をしている。
この人に対して更に「思想を押し付けてはいけない」という信念を持たせてみる。

しかし「反出生主義」ではあるので言動は反出生主義的と矛盾しない。
そうすると押し付けとまで言えないが、思想が見える発言はどうしても出てしまうはずだ。発言は思想を根源にして放たれるものなので、発言一回で半出生主義と分かることは無いと思うが、共に過ごせば思想の輪郭は見えて来る。

その時「私は半出生主義です」というメッセージが相手に渡ると共に「なぜ半出生主義なのか」も伝わる。そこから相手は半出生主義と向き合わなくてはいけない自分の信念から無くすのか、自分に刻むのか、選択する必要が出てきている。

これは強要と効果としては一緒、もしくは強要よりも高い効果を生み出している。発言というのは「効果」が大事だ、相手にどの様な効果を及ぼすかが最も重要なことだ。北風と太陽という話の通り、無理矢理行動を促すというのは上手くいかないものだ。太陽の様に他者に選択をさせる状況に持ち込むことが大事なのだ。決して太陽が優しい訳ではない。太陽は狡猾なのだ。

私はあまり強要が悪いこととは思わない。それは効果的ではないからだ、それよりも悪質なのは微妙に優しかったり、可愛かったり、心地良いものだ。
水銀よりもタバコや酒の方が人を殺しているように、人間に対して利がある様なものが実は危険なのだ。「強要をすべきではない」と人の行動を制限してもその人の思想を消すことはできない。思想が根本的に同じなら強要をしようが気を付けた発言をしようがいずれ思想の出力は完了する。

出力が終わった時の他人に及ぼす効果についてまで思考が及んでいないといけないと私は考えている。

最後に言うが「思想を押し付けてはいけない」は矛盾している。この言葉自体が思想の押し付けだ。言語はまるで完璧なものではないので矛盾が生まれることは仕方ないが一応指摘しておく。


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