リベラルは野生に還る思想である

2024/3/30 株とイスラム教に関して追記(※1と※2)

ヒトは理性的な動物であり、「本能を抑え、社会制度というものを理解し、それを守ることができる」というのは非常に優れた特性である。そのため「理性」は高く評価される。

しかし教育によって高まった「理性」はより心地よい生き方を「発明」してしまった。「理性は本能を再評価」し、「この方が心地よくないか」といった行動様式を発見した。これによって生まれた思想が「リベラル」であると考えている。「リベラルは『先進的』な思想なのと同時に、本能の再評価により生まれた野性への回帰思想、又は『発展のための不自由な社会制度』を拒絶する思想である」ということを書いていこうと思う。

リベラルの人達が高尚な理屈を振りかざしたかと思えば、気に入らない人間を所謂レッテル張りにより封殺する様に辟易している人も多いのではないだろうか。これも「彼らが本能に忠実だから」で説明できるだろう。(気に入らないものを集団から消すのは、無能を抱えて置く余裕のない過去の社会ではよくあったことということになっており、実に本能的である)
最初にリベラルを思いついた人は本当に理性的だったのかもしれないが、それは本能的に「心地よい」ものであった為、そういった特性に惹かれる人を大量に引き寄せてしまったのだろう。

人間の歴史

人間(ホモサピエンス)は伝承などの文化を含む社会制度によって強くなってきた。通常、生物は遺伝子の導くままに生き、それに逆らうことはない。よって遺伝子の変化速度でしか進歩することができない。ところが、人間は「嘘を信じる」という特殊能力により「社会制度」を作り上げた。「嘘を信じる」とはどういうことかというと、「人が言っているだけの物事を『確かな』知識と認識する」ということである。

通常、野生動物に学習させようとすると、直接刺激を与えるか、少なくとも目の前で実演してやらなければならない。ところが、人間は教科書を読んだだけ、人に言い聞かされただけで「分かったような気になる」。勿論嘘を教えられればゴミ集団が出来上がるわけだが、集団が強くなる知識を伝えることに成功した集団は遺伝子の可能性を超えて圧倒的に強くなる。(そのため生存者バイアスで「知識を教える」→「強くなる」という現在も見られる誤解が存在する。ゴミ知識を継承した集団や個人は淘汰されて消えていったことだろう)

ここの「集団が強くなる知識」とは科学的に正しいものというわけではなく、むしろ正しくないものも多い。例えば「雷とは~」、「地震とは~」といったように、非科学的な伝承は多く存在する。しかしこれらは「その自然現象を過度に恐れなくなる」という意味で有用であった。また、宗教や結婚などの文化も、「社会に秩序をもたらし人口が増える」、「その結果発生した余剰により文化が芽生える」などの効果があったと考えられている。

社会制度は豊かさを増やすが本能を抑制する

社会制度により人の集団が強くなり発展したからと言って、それすなわち人が社会制度を賛美するかというとそうではない。むしろ抑圧から解放されたがっている一面もある。特に社会的に成功したり高い能力を持っていたりする個体からすると、社会制度は自分の幸せを棄損していると気づきやすい。その結果、リベラルの思想に傾倒する。

身分社会

人は生まれながらにして能力主義(メリトクラシー)の価値観を持っていると言われている。しかし、生き残った人類文明を見渡しても「身分関係なく能力により身分を与える」な世界は非常にレアだ。多くの世界は「支配者階級の中から優秀なものが政治を握る」といった具合である。唯一といってもよい能力主義の体現者が中国の科挙であるが、定期的に文明を崩壊させてはまた作り直し…を行っているので、あまり上手くいっているとは言い難い。

何が言いたいかというと、身分社会というのは社会が安定するが、ヒトが生物として持つ能力主義の本能に反しているということである。日本の江戸時代などまさにそうだろう。身分社会は人間の持つ「能力主義」に反するが、社会は安定するのである。

リベラル思想の一部である能力主義や自由競争は、社会制度が抑圧していた「能力主義という本能」に対する形で再発見された。

結婚

結婚とは「男女を一組のペアとし、生活や子育てにおいてお互いに利益を与え合う契約」のことで、ここでは周囲の圧によりほぼ全ての国民が結婚することになるという慣習も含めて「結婚」と呼ぶことにする。(そもそも自由恋愛という価値観が最近できたようだ)
結婚は多くの競争を勝ち残った文明の中にはほぼ必ずみられる制度・慣習である。なお特権階級はこれらを無視する歴史も多いが、庶民には1対1の関係を推奨する文明がほとんどだろう。

ただしこれらは男女の本能の一部を制限する契約である

男は精子のコストが低いため、少しでも多く後世に遺伝子を残すための最適戦略は「見境なしに撒く」ことであるが、男はこれを禁止される。
男が権力を持つと沢山の女性を侍らしたり、ラノベなどの創作物でハーレムが流行る理由であったり、おそらくこれは本能である。

女性は生殖に関するコストが高いので、「生殖相手を厳選する」性質を持つ。これは現代では「上昇婚志向」なんて言われたりするが、結婚という制度はそれを間接的に禁止し、周囲から見て「お似合い」の二人が結婚することになる。

「チー牛」と結婚するくらいならハイスぺ男性にやり捨てられる方がいいと多くの女性は言うようだ。これはふわっとした一夫多妻の形態なのだが、本能に従うと恐らくこの社会になる。この社会の何が問題かというと、ステータスの低い男を集団の労働力としてフルに活用できない点である。子孫を残す可能性が無くなれば、生物として頑張る意味も失われるだろう。むしろ反乱を起こされる危険性すらあるが、彼らを切り捨てれば強い大きな集団にはなれない。
別の見方として、本能に従い一部男性が女性を独占するような集団は数が増えず、生まれた全ての男を労働力に使えないため弱く、戦争によって滅ぼされ、「あたかもどの文明も結婚を取り入れたように見えている」、と考えることもできる。

つまるところ、結婚とは集団を強くするうえで非常に合理的なシステムであるのだ。ただし上に書いたように本能を一部否定することから、人がこのシステムに対して理性により「合理的でない(この制度は俺の幸せを制限している)」と思い至るのは何ら不思議ではない。

リベラルな思想は結婚という概念の解体を試みており、その一つが自由恋愛の推奨、控えめなものとしては共同親権の主張だと考えられる。男女で性愛の特性に差異がある以上、自由恋愛で共同体を維持することはできない。
「愛があれば何事もうまくいく。社会制度による補助などいらない」というきわめてクリーンな主張だが、その実本能に忠実なのだ。

組織としての画一性

組織としての一員と考えると、画一的であった方が使いよい。軍隊で「個を捨てさせる」訓練があったり、労働がより画一的な仕事を出力する機械(開発に多額の資金が必要であっても)に置き換わっていくことを見ても想像できるだろう。

組織では画一的なことが求められるが、本来ヒトは遺伝子の数だけ差異があるのだから、一纏めにされてはたまったものではない。画一性は生産力など集団の力はブーストする一方、個人の自由を妨げる。

理性による本能の再評価

理性とは「論を立てる能力」であり、現在の心理学では感情に理由を付けたりすることはよくあることである。そういった流れがあるならば、自分の内面を見つめていった結果「これまでの慣習が自分を不幸にしているぞ」と「自身の生物としての本能」を再評価してしまうことは避けられなかったのではないだろうか。

ただし「自分たちに不自由を敷いていた社会制度」が社会を支えているものだったであろうことは既に述べたとおりだ。人は遺伝子の外部を発達させることで、遺伝子変化の速度を超えて種族全体を豊かにしてきたのだから。リベラルによる社会制度の解体が進み集団全体が弱くなると、世界が物質的に豊かでなくなり、今ある「もっと根本的な幸せ」が崩壊していくことが予想できる。

当たり前の幸せをもっと自覚しろ

根本的な幸せとはどんなものかというと「毎日おいしい食材が安くで手に入る」とか「("ぴえん"をするくそ野郎含む)弱者への救済制度が用意されている」とか、「休日が用意されている」とか、「スマホ、高速交通手段、医療などの高度技術が格安で提供されている」とか、「株などの金遊びで儲けが発生する[※1]」とか、そういうものだ。
これらは集団が豊かでないと用意されない。野生に還ろうというリベラルの主張を聞いていると、これらは失われて行ってしまうだろう。

とはいえ、この理屈に納得して実行に移せる人は少ないだろう。ネットでは話の通じない人間が多数観測されている。現実でも「人は理屈で動かない。感情を大切にしろ」と言われることは多々存在する。行ではなく行間を読み、文章を理解できず吹き上がる人たちがいっぱいいるだろう。米津玄師も歌っている通り「正論と暴論の分類さえできやしない街」なのだ。

※1読み直したうえでの追記 
株を否定したいわけでは無いが、株とは「『お金さえあればもっと儲けが出る大きな商売ができるのに』と考える人」と、「今は必要のない金を余らせている人」いるから儲かるのである。お金が余るのは社会に余裕のある証拠であり、本当に生活が苦しくなれば株に回せる金などない。株にお金を回せるということはそれ即ち「余裕がある側」であるという事であり、当たり前の幸せを超えた生活をできているといえる。

事故家畜化という救済はあるのか

「自己家畜化」とは「野生生物が人間との共同生活に適応する過程のことであり、とくに人間が直接家畜に適した形質を選抜して繁殖させること」をさす。短期間に非常に大きな遺伝子変化を引き起こし、犬や猫の品種改良が始まったのが最近であるにもかかわらず、既に様々な品種が存在するのは自己家畜化により説明される。

人間にも自己家畜化が起こっているという主張があり、これらは各国により国民性(遺伝子)が大きく違うことに起因する。大きくといっても非常に似通っているのだが、見た目が一番わかりやすく、平均的な筋力、IQなんかも民族間で異なることは事実である。評価しにくいが性格なども大きくあるだろう。

これにより「一夫多妻を目指さないような本能になる」とか「能力主義を捨て去る」といった変化が起これば、みな本能に従って行動した結果豊かになることができるようになる。リベラルのような「本能に忠実な思想」が「一夫一妻があるべき姿だ」とか「能力主義はおろかだ。競争は無駄が大きい」とか言い出すようになるだろう。

それまで、この世界は維持されているだろうか。

その他の展望

いっそ新しい宗教とかがこれを駆逐するのかなと思わなくもない。宗教が人間の発展に寄与する社会制度を提供し、それを信じる人が多いならばその集団は「強く豊かに」なっていき、多くの弱っていく文明を飲み込むだろう。(現在もっともこれに近いのはイスラム教[※2]だが、この立ち位置になれるのだろうか)
ただしその宗教の中から本能を見つめなおす動きが生まれた時「次のリベラル」が生まれ、歴史が繰り返すだけのような気もする。

そもそも技術的な革新により本能と現実世界の乖離が問題になったのだから、現状に一致する社会制度や本能が提供されたとしても、ここから更に何らかのパラダイムシフトがおこり再び不一致な状態に戻ってしまう可能性も十分にある。どの時代においてもヒトはそのズレの中で工夫していく必要があるのだろう。

※2 追記
宗教ということで書いた時は安易にイスラム教を挙げたが、リベラルに逆らっているというだけで実際にはあまり正確でないようだ。結局のところ集団の強さとは出生率に大きく依存し、イスラムも先進国ほどではないにしても出生率が低下している。これはなぜかと考えると、ヒトは文明化によって生殖をする理由を大きく失ってしまったからだろう。(長くなるので詳しくは書かない)

結論

リベラルとは理性により本能を再評価し、本能に従った行動を賛美する一方、不本意な社会制度に否を突き付ける思想である。ただし人間は社会制度により発達してきた側面があり、これを取り払うと大幅に「貧しく」なると予想できる。
現在のリベラルはこの問題に対しての答えを持ち合わせていない。

正直リベラルをぼろくそに書いた自覚はある。
だが「本能的に正しいからこそ多くの支持を集めている」という事実は認めなくてはならない。


参考文献

いろんなソースから影響を受けている気がするので真面目に引用していないが、思想に影響を与えると自覚できるものを以下に羅列しておく。

「ベーシックインカムちゃんねる」の動画に強く影響を受けている自覚がある。結婚についての理解や、社会制度が遺伝子の外側の概念であるというのはここからきている。「理性は本能を再評価する」とは動画の中の言葉を借りている。『サピエンス全史』を参考にしていると言っていたため、気になる方は読んでみるといいだろう。(自分は値段と時間にしり込みしてます)
自由競争やリベラルな社会への批判的な精神も、それなりに受け継いでいる自覚はある。

橘玲著の本にも多くの影響を受けている自覚がある。現在のリベラルを否定しながらも「私の政治的立場はリベラルだ」とどこかのあとがきで語っているような人物だ。
『無理ゲー社会』では4歳の子供が能力主義的な選好性を示す心理実験が示されていた。他の書物でも繰り返し「能力主義は人の本能なものだ」と示されており、同著者の本を読んでみるとよいだろう。男女の性愛の非対称性に関しては『女と男 なぜ分かり合えないか』の思想と、その他のソースの印象が混じっている。『言ってはいけない中国の真実』では科挙による機会平等な社会(能力主義)と、その後に起こる大崩壊が示されていた。あの規模の国土で起こる人口の大増減はすさまじく、人口半減、1/7まで減少、戸数が1/5、1/3まで減少などの数字が列挙されており、「定期的にペストの大流行が起きているようなものだ」とのこと。
『もっと言ってはいけない』では自己家畜化の人への適応についてまとめられている。

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