何かを思いついた時に書けるように

色々なことに関して素人な自分がちょっと考えて思いつくことなんて既に誰かが主張していると思うが、まあそれでも思うことを書いてみようかなと書き残す場。

どんな生き方をしてきたやつが書いたのか気になる可能性があるため自分の性格の核を作ってそうな要素を書いておく。

小学校は受験なしの公立、6年の時だけ駅伝メンバー選考みたいなのに参加して1500メートル程度の中距離を少し。それなりにハードな一年で、同年代で相対的に見たらこの時が一番ご飯食べてたかもしれない。
中学も公立受験なし。吹奏楽にどっぷり浸かった。楽器は立候補者が出なかったチューバ、同じ楽器に同期が2人いたけどどっちもやめていくという。今は変わってきているようだが顧問の先生が部活動にがっつり時間を使ってくれる時代。平日は毎日、土日は大体1日練習があってテスト週間だけそれがなくなるみたいな。今思い返してみれば公立でマーチングにも手を出してたんだから先生すごかったんだなぁと思ってしまう。ノリがだいぶ体育会系だった思い出。挨拶だとか返事だとか。そういうのは苦手だったとはいえそれなりに実力は付けてもらえたようでそれから音楽とかかわるのが楽しくなったので、感謝している。
高校は成績オール4くらいあればいける公立高校。ここでも吹奏楽を続けた。高校が定時制の側面も持っていたため早めに部活を終える必要があり、中学ほど長時間練習することは減ったが、音楽の作り方だとか基礎練習の方法とかを理屈で喋ってもらうことが増え、こっちの方が好みだった。
大学は国立の理系に進んだ、分野は大雑把に言うと化学。結局塾にはお世話にならない人生だった。大学では高校の時の先輩に誘われてオーケストラへ。でも結局吹奏楽の方が楽しかったなぁと思ってしまう悲しみ。オーケストラの金管楽器ってホルン以外が休みが多くてあんまり出番ないというか、その曲自体にチューバの編成が無かったり、タチェット(その楽章全部休み)とか頻繁に言われてなんかなぁと。それを引退した後は生活の中心が丁度配属された研究室へ、、いくかと思いきや、だいぶ緩い研究室だったこともあり研究する事がよくわからなくて休みがちに。コロナと自分の性格も相まって全然外に出ない生活をしていた。YouTubeの動画だったりネットの記事を読み漁ったり、ひたすらオンラインゲームのチャットで盛り上がったり、ネットでのモラトリアムみたいな。半分流されるように(就職から逃げたともいう)そのまま院に上がり1年の末あたりで研究テーマで面白い結果も出てきて、それから毎日通ってる。来年から就職。
研究室をさぼりがちだった2年が無駄だったような気もするが、なんか色々考える時間になり、色々考えたり、こんなものを書いてみようと思うきっかけにだったのだからそういう意味ではよい期間だったのかなとも思う。料理し始めたのもこの期間のおかげ。
一般的なバイトはなんかやる気になれなくてやらなかった。その代わりお金を使うこともあんまりしなかった。それでも不自由だとは思わなかったし、満足していた。コロナのせいという言い訳もできるが自分は家にいるのが好きだったし、あんまり外に出るのは好きではなかったから、結局本当に言い訳でしかない。

消極的な人生で「大きな夢」とかそういうのとは無縁だったけど、最近はそれでいいんじゃないかと思ってる、だって普通に生活が楽しいし。
そんな人が書いてます。
(2023/8/6)

追記1 2023/11/5
出来るだけ強い言葉を減らすようにして書いていく予定。今までもそうだった気はするけど改めて。
それらは大勢の注意を引く上でマーケティング的に大事だったりするのかもしれないが、嘘つきになる部分もありあまり好きではないため。

また自分の性格をきれいに言語化できたため書いておくと、社会や組織でのバランサーとして働く性質がありそうだと最近気がついた。

大勢が強い言葉で反対を口にしていると「そこまでじゃ無くない…?」と言いたくなる、その理由は大体簡単に見つかる。逆に大行列が出来て大流行りしていたりすると「じゃあ自分は他のところでいいかな」となる、そこでも十分に満足できるし。
事務連絡などを積極的にやってくれる人がいる場では完全にそういうのはお任せする立ち位置に入っていた。しかし最近そういうのを全くやってくれる人が居ないコミュニティにいるのだが、何故か自分が主にやることになった。まあそんなに苦痛ではない。向いているとは思わないが、自分以外がやらないため、求められるハードルが非常に低くてやりやすい。

記事にはそういう、情勢のバランスを求めるような補正が入ってると思われる。


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