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【母の介護について】…少しずつ。⑪

父・西川右近は、53歳の時に、心筋梗塞でバイパス手術をし、その1年後に舞台復帰をしましたが、その事をきっかけに、研究をし、日本舞踊の動きを基本とした、NOSS(ノス)にほん・おどり・スポーツ・サイエンスを誕生させましたのが、母が病気になる少し前の事でした。

父は、NOSSの研究を通し、色々な分野の方々と知り合っていました。お医者様はもちろん、医療、福祉、大学や、フィットネス等様々なエキスパートの方々と仕事をする機会も増えていました。

NOSSは、
筋力運動・有酸素運動・ストレッチ運動が、取り入れられていて、心臓や血管に負担をかけずにできる、優雅な動きの運動なので、
多くのインストラクターの方々に、介護予防としても、各地の施設などでも取り入れていただいていましたので、
母が倒れてからも、皆様のご意見やご協力をたくさんいただき、介護にも役立てるために、父も色々努力をいたしました。

母は、元気な時期に、このNOSSの最初のDVD 映像撮影の時にも同行していましたので、どちらかと言うと、制作側の気持ちでした。
ですから、父は、考え、要介護の母が私とともに、老人施設へNOSSを教える側として出かける…。と言うことも実行しました。
元気な人だけでなく、要介護の母が行く事で、講座を受ける方も、すんなりと受け入れやすいのでは?と言う考えでした。


また、「名古屋をどり」についても、母は、やはり初めから、主催者側の人間なので、劇場へ行く時は、西川流の総師の妻としての立場を忘れておらず、劇場ロビーでは、お客様にご挨拶をする、また楽屋でも、主催者側の気持ちでいました。

中日劇場は、閉場されましたが、母が、車椅子で「名古屋をどり」に行っている時、
車椅子席で舞台を観て、終演後に、ロビーに出た途端に、劇場スタッフの案内の方が、出入り口の方に連絡をし、すぐに、エレベーターを押し、危険の無いよう、また、他のお客様には、ご迷惑がかからないように、てきぱきと対応して下さり、たいへん行き届いていたと、「かくあるべき」と、最近になり、思い出されます。

西川陽子

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