魚は空に沈む
水面にペットボトルが浮いている。
水面に一匹の魚が浮いている。
この二つの文章に違和感を感じる人はいないと思う。私も長らく感じたことがなかった。水面の波に揺れて漂うペットボトル、魚は共に”浮いている”と表現する。これは誰もが同意する表現の仕方だと思う。
”浮いている”という表現には”(本来沈むものだが重力に逆らって)浮いている”という文言が隠れている。”水面にある”と言われれば、物が水面に存在しているだけだが”水面に浮いている”と言われれば、物にかかる重力とそれに抗う上方向の力が見える。
浮くという言葉には幻想的な魅力がある。
私たちは重力という地球上における絶対的な力に縛り付けられている。文明が発達して気球とかヘリコプターとかで上空に飛び立つことはできるようになったが、日常においては、重力から解放されることはなく、地に足をつけて生活している。
鳥に、雲に抱いた憧れは、”浮く”という言葉に含まれているように思う。”浮”という文字を見ただけで、世の理を外れた遥か彼方へ連れていかれるように感じる。それは私たちの空への羨望が現れている。それは圧倒的な生の象徴であり、死の対極なのだ。
水面に一匹の魚が浮いている。
魚はどうだろうか。
魚は空に憧れなど抱いているのだろうか。
いや、抱いていない。なぜなら死んでしまうから。魚は水が無いと生きていけない。水面へ上昇することは死が迫り来ることと同義だ。
それに魚はもともと上下方向の移動を獲得している。水の中では360度の移動が可能だから、上方向に対する憧れなど抱かないだろう。
つまり魚の視点による海は人間の地上(空の意も少し含める)であり、魚の視点による空は人における海なのだ。
水面に一匹の魚が浮いている。
よって、これはこう言い換えるべきだ。
一匹の魚が水面に沈んでいる。
つまり。
魚は空に沈む、
のだ。
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