私の文章は鏡で雑草。花が咲かない。観客に見てもらえない高さの雑草。

シナリオセンターに通って、一年と七か月が経った。「自分の文章で人の心をくすぐりたい」と思い立ち、なら、三十半ばの私にとって何が得意で何が不得意か、何が好きで何が嫌いかの折り合いを付け、えいや!と決めたのが、映像のシナリオで喰っていくという道。小説なんて無理。んなもん「かしこ」がやるもん。ライターになるほどの感度もない。宣伝会議の講座はかなりの高額だった。ただただテレビに影響され続けてきた自分が消去法で選んだ道。ところが私はバラエティー番組一択の学生生活だった。
やるからには売れたい。売れるためにはコンクールで賞を取る。いつまでに?なるはや。いつかプツンと切れてしまいそうなあやふやなモチベーション。私のようなシロウトにマンツーマンレッスンしてもらえる財力もなく、ただただ面白いのか面白くないのか、構成は適切か、テーマが伝わるのか伝わらないのか、簡単なことでさえ教えてくれる人もおらず。良いものをかいているハズと信じて、進めるしかないという孤独。シナリオセンターの研修科の仲間はいるが、これとて私には敵にしか見えない。いつか上に上がっていくのを見届けるしかできなくなるのかと思うと恐怖だ。

シナリオ、やること多すぎ。
登場人物のキャラを考え、単にキャラと言っても、見ている人に感情移入してもらうキャラを考えないとコンクールには残れない。
主人公に葛藤を与え、単に葛藤と言っても、二つの感情の間で揺れる葛藤と目的を阻む葛藤の二個を織り交ぜ、もちろんキャラにあった葛藤で、話を進めないとコンクールには選ばれない。
登場人物に生き生きとしたセリフを話させて、単にセリフと言っても、説明セリフは描きたくないもんで、でも見ている人に伝わるものでないとコンクールには……。
見ている人を引き込ませる、展開や構成を考え、単に展開と言っても、話を前に進めるのではなく、上記のキャラと葛藤によって、主人公の欲望が主人公を動かすようにしないと、ドラマではなくなる……。
小道具を使って、セリフを使うのではなく、主人公の感情を絵で伝える。
こんなマルチマルチタスクできんわ。そして、私は真面目だ。

4、5個はコンクールに応募したが、かすりもせず。どれも、スマートに考えて作ったものではなかった。無理矢理絞り出した。文章で、私の腐った性根とセンスの無さが出たものだった。私の腐った性根とセンスの無さがいい方向に出るのでは?と思ったのが、シナリオなのだが。出てきてほしいところに出てこない。自分の意図していないところで、出てきてしまう。プロはこんなことなく、コントロールしているのでしょうか。

自分に何の技術が足りていないのかすらわからないこの状況。頭が痛い。初期衝動の勢いも早々と衰え、発想力も乏しいもんだなと、そろそろわかってきたところです。シナリオセンター研修科って、自分が書いた作品を口頭で発表し、皆さんと講師の先生から感想とアドバイスをもらうのだが、これが最近になってあんまりピンとこなくなった。褒められるからだ。いや、自慢ではなく。私が言いたいのはそこじゃない。ってところを褒められる。私の言いたいことを適切に伝えられる表現技術がほしい。それともその私の長所を伸ばすべきなのか。その方向性を指南していただける人もおらず。あなたはこうした方が良いよと言ってくれる会社の人もいない。

なんの具体的エピソードもないこの文章に誰の心がくすぐられようものか。

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