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紅白のきいちゃんはかみがかっていた

神がかっていた、とタイトルに入れてから、きーちゃんの前髪がずっと眉間にかかっているのが気になっていたことを思い出した。神がかりと髪かかり(もしくは髪が気がかり)。新年早々出来の悪いダジャレかライムである。
きいちゃんとは言わずと知れた(元?)氷川きよしさんのこと。ズンドコ言ってた時にはかの人の射程圏内にいなかったので特に興味はなかったが、ある時ケーキを作っているのを見てファンになった。
プロじゃないのにプロ顔負けの人に私はいつも憧れる。

昔から「生活レベルはいつでも落とせる」という覚悟で生きていて、ブランドらしいブランド物は持たず、どんなものも買う前に作れないか考えて生活している。子供が生まれて針仕事を少々こなすようになった今、自分の着なくなった洋服は子どものネックウォーマーに、子供のダウンはルームソックスに、という状態であまり布のブラック企業状態である。
こう書くと倹約家のようだが、本当はお金は貯めるより稼ぐのが好きだ。
遣うわけではないけれど、お金を稼ぐ能力のある自分が好き、なのかもしれない。だからきいちゃんのようにお金に換えられる能力を、自分や周りのためだけに使う人に憧れる。シンプルに余裕を感じる。同じティーバッグで二杯目は入れない的なやつ。自分でやるともったいないお化けにうなされそうだ。

料理のできるきいちゃんは、最近はめきめきと美しくなり、昨日はドラゴンに乗っていた。ティルダスウィントンをもう少し熱帯系にしたような男女入り混じった美しさであった。直前まで小林幸子もでなくなったねー、もうあんな物理的に派手なの見られないんだね、なんて旦那とのんびり言っていた自分をガンガン揺らしたくなるきいちゃんライドオンザドラゴン。ここはたぶんアじゃなくてザ。あれどれぐらいリハーサルしたんだろう。首折れたらどうしようとハラハラしたのまで含めてとてもいいもの見せてもらった。

かの人は昨日をもってしばらく休止されるそう。見えてるものから理由を想像していいのか果たしてそれはデリカシーにかけることなのか、単純なところを歩いてきた自分にはわからない。けれど、力強くまた絶対帰ってくると言っていたきいちゃんを信じて待ちたいと思う。余談だが、嵐の大ファンだったので、数年前の泣きながらコンサートを見て年越しをしたあの夜に同じ言葉があったなら、と思った。どのみちファンなんて祈ることしかできないが。

せめて月一で投稿したいと言っていたのにあっという間に年は明けてるし、今この文章を打っているのは新しいパソコンである。祖母が年賀状に、『年だけが早く進んでいます。もう91歳です。だけど私は元気です』と書いていた。『だけど』に含まれるあれこれを知っているので申し訳ないが、その境地は少し羨ましかった。いろんな意味で明日のこともわからない。元気なだけで許してもらえる状況ではないがせめて駄文で自分をなぐさめながら今年も年の瀬に向けて走っていきたい。

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