ヴィーノのある暮らし
ヴェネツィアの食卓にはワイン、つまりヴィーノが欠かせません。
まだパパ・ヴィットリオがいた頃、階下のマガゼン(ヴェネツィアの建物はたいがい1階部分が倉庫兼酒蔵になっている)からその日に飲むヴィーノを持ってくるのは、一家の酒番であるパパの役目でした。
どのヴィーノを飲むかは、料理に合わせるのはもちろん、
その日のお天気や気温しだい、あるいは気分しだい。
晴れた日にはビアンコ、汗ばむような暑さだったらキリリと冷やし、
肌寒いなと感じたらロッソ。
日の高いうちはビアンコ、暗くなったらロッソということもありました。
エチケッタのないヴィーノ
このような家で飲むヴィーノには、いわゆる銘柄ラベル=エチケッタが
ありません。ふだんの家飲み用ヴィーノは、毎年契約した醸造元から
直接仕入れ、自分たちで瓶詰めするからです。
ダミジャーノという大きな運搬用の瓶から、一家総出で器械を使って
瓶詰めし、マガゼンに保管しておくのが伝統的なヴェネツィア流。
隣近所で共同購入、瓶詰めも共同作業という方法もあります。
瓶詰めのタイミングは気圧が大きく関係するため厳密な決まりがあり、
年ごとにその目安となる暦が配られます。
月齢、つまり月の満ち欠けのカランダリオ(カレンダー)です。
基本的に瓶詰めは満月からだんだん月が欠けていく時期、ルナ・カランテに行います。気圧が低くヴィーノが瓶の中で膨張しているこの時期でないと、後でヴィーノが膨らみ栓が破裂することさえあるのだとか。
ヴィーノの種類や熟成度などによって微妙に異なりますが、できるだけ
乾燥した天気のいい日を選び、湿った海風の吹く日などは避けるのです。
海に囲まれたヴェネツィアは気圧の影響が大きいため、瓶詰めの日は
より慎重に選ばなければならないといいます。
お月さまとヴィーノ、初めてこの話を聞いた時はなんてミステリオーゾ!(神秘的)と驚いてしまいました。
そして自然のリズムに従って生きるヴェネツィアの人びとの生活の知恵に
あらためて感心したものです。
空いた瓶は専用のブラシでよくよく水洗いしてから乾かし、
口元に埃よけの紙をきちっと巻き、また次に使うまでマガゼンに保管、
半永久的に再利用されます。
瓶にエチケッタはありませんが、代わりに瓶詰めした年とぶどうの品種、
メルロット、カベルネ、マルベック、ヴェルドゥッツォ、プロセッコ、
トカイ、ピノ・グリージョなどとメモを貼りつけておきます。
マガゼンの棚に1年分のヴィーノがずらりと並ぶ様は壮観で、そこから
その日の気分によってヴィーノを選ぶのは心愉しい作業です。
#量り売りのヴィーノの楽しさ
*どのヴィーノも1リットル2~3エウロという値段!
*行きつけの酒屋、アルベルトの店で味見するマンマ・ロージィ
*ダミジャーノからサイフォン式に瓶詰め
*ダミジャーノは舟から台車で運ばれてきます
もっと手軽には、町中にある量り売りの酒屋でヴィーノを買います。
ひとり暮らしになってからは、マンマももっぱらこの量り売り=VINI SFUSI派でした。ふつうのエチケッタのついたヴィーノに比べ断然安く、
地酒や新酒など気ままに選べるのも楽しいのです。
最寄りの酒屋に空のペットボトルを持っていき、ヴィーノを選んで
リットル単位で詰めてもらいます。
家に戻ったら、専用のガラス瓶に入れ替えて食卓にのせます。
時にズボラな家では、ペットボトルのままで出すので、コーラと間違えて
しまいそうになるので注意が必要です。
例えば誰かの家に招待された時、手土産として持っていくヴィーノは、
ふだんよりちょっとこだわりの酒屋、エノテカまで足を伸ばします。
お目当てのヴィーノを瓶詰めしてもらう間、味見ついでにちょっと一杯
ということもしばしば。
ある時、マンマと一緒に味見したプロセッコの銘柄がなんと
VEDOVA=未亡人と聞いて、思わず互いに顔を見合わせてしまいました。
エレガントなVEDOVAに乾杯!です。
*こちらは樽から瓶詰め
素顔のヴィーノの魅力
これら #エチケッタのないヴィーノ はどれも抵抗なくするする喉を通っていく旨さ、まさしくすっぴんのヴィーノという感じです。
アルコール度数も11度くらいと低めで、長期保存の必要がないので
防腐剤も添加されていません。
いくらでも飲めそうな、すっきりした飲み口はそのせいかもしれません。
町の居酒屋バーカロでも、地酒を樽からグラスに注いだ
「ombra=オンブラ」を立ち飲みするのがヴェネツィアらしい風情です。
いずれにしても、毎日飲むヴィーノとはこういうものなのでしょう、
あれこれ蘊蓄を語るようなヴィーノとは違った普段着の味とでもいうのか、飽きのこない旨さです。
飲みきれなかったら、また栓をして次に飲むのですが、気がつくと
すっかりひと瓶空いてしまっていることが多いのです。
#暮らしに溶け込むヴィーノ
週末に家族が集まる食事会やお客様の時、祝祭日などには、
ちゃんと細い足のbicchiere=グラスを出し、客用のデカンタにうつしかえ
られたヴィーノが食卓にのります。
が、ふだんはもっぱらふつうのコップのようにがっちりしたグラスです。
暑い日など薄めて軽い飲み物にしたい時、あるいは体調がすぐれない時や、
すこし酒に弱くなったお年寄りなどは、水で割ったヴィーノ、
acquavino=アックアヴィーノを飲むこともあります。
もちろん飲めば酔っぱらうアルコールに違いないのですが、酒というより
体をつくるため食事には欠かせない飲み物という感覚です。
実際に「Buon vino fa buon sangue」 #よいヴィーノはよい血をつくる 、
という諺があります。つまり、ヴィーノは健康のもと、百薬の長という
ことなのです。病院食でも回復期にはヴィーノがつくといいます。
バールやバーカロでぐいっと飲るオンブラもふくめ #ヴェネツィアの暮らし にはヴィーノが溶けこんでいます。
カトリックの教会ではパンはキリストの肉、ヴィーノはその血であるという重大な意味を与えられていますが、まさにヴェネツィア人の体の内にはヴィーノが流れているのではないかと思えます。
デザイナー、美術家、料理家。イタリアはヴェネツィアに通い、東京においても小さなエネルギーで豊かに暮らす都市型スローライフ「ヴェネツィア的生活」を実践しています。ヴェネツィアのマンマから学んだ家庭料理と暮らしの極意を伝えます。