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外苑創建の趣旨と将来の展望〜②明治神宮外苑七十年誌にみる「将来のビジョン」

明治神宮外苑七十年誌は、明治神宮外苑創建から七十年の節目にあたり、編纂委員会によってまとめられ、平成十年(1998年)3月に発行された重要な歴史資料である。その本編の巻末に「外苑将来への展望」と題された一節がある。そこにはあたかも四半世紀後の現在の状況を予見するような記述があり、再開発による高層化などに対し警告を発するなど、本来、明治神宮が掲げていた高い志と矜持が示されているのである。
以下にその一部を引用し、紹介する。(特に注目箇所は太字)

【第2節 外苑将来への展望】
以上、神宮外苑の七十年を概観してきた。
神宮外苑は、明治天皇・昭憲皇太后お二方のご仁徳を敬仰・追慕するために創建され、文化・スポーツ施設を通じて青少年の心身鍛練の場として、また遊歩を楽しめる緑多き苑地として、できる限り多くの人々に開放していくというのが創建の趣旨であった。
この精神は七〇年を経た現在でも、いささかも変わっていない。
(中略)
神宮球場、神宮プール、そして現在は国立競技場となっている神宮競技場などの競技施設が、わが国のスポーツ界の発展に果たしてきた役割も大きいものがある。 戦前の神宮競技場では、現在の国民体育大会の前身である明治神宮体育大会が毎年開催されてきた。神宮球場では東京六大学野球やプロ野球など幾多の名勝負がスタンドを沸かせる一方、神宮プールでは古橋広之進選手ら数多くの水泳選手が世界記録を次々と樹立し、敗戦で意気消沈した国民の心を励まし、力づけてきた。
このことは、オリンピック東京大会の主会場となった国立競技場とともに、神宮外苑がスポーツの発展にとどまらず、スポーツを通じて日本人の精神的支柱であり続けたことを物語っているといえよう。

また、神宮外苑は、四季を通じて、銀杏並木をはじめとする緑濃き樹木や色とりどりの花々で、訪れる都民にオアシスを提供してきた。 都市公園法で都市計画公園と規定されてはいるが、一般の公園とは異なり、昔も今も 「神苑」であることに変わりはない。
それにふさわしい環境を維持するため、樹木の管理や芝生の植替え、四季の花々の栽培などの地道な努力を重ねてきたことも挙げておかなければならない。
こうした努力のうえに立って、今日あるような、 神宮外苑の各施設の整備・充実を着実に行ってきたのである。

将来のビジョンも、やはり外苑創建の精神に則ったものでなければならない。すなわち、都市再開発や建築物の高層化などへの安易な同調を排し、緑を大切にしながら、文化施設やスポーツ施設の充実という枠組みにおいて、「人間の心と身体が活性化していける環境づくり」に貢献していくことである。
とくに絵画館については、明治にゆかりの建物が少なくなるなか、遠くなる明治という時代をとどめおくことのできる博物館として、その大任を担うべき時期に来ている。(注:聖徳記念絵画館は2011年に国の重要文化財に指定)スポーツ諸施設については、戦前・戦後の体育振興や競技施設としての役割はすでに終わったものもあるが、さまざまなスポーツを愛する人々により開放された快適空間としていっそうの設備充実に努力し、外苑創建の精神を次の世代に継承していかなければならない。

また、都市の環境保全、地震・災害時の安全確保の面でも、
神宮外苑の担う役割は重要である。
これについては、皇居・東宮御所・日比谷公園・新宿御苑といった都心の緑地全体を視野におき、国や東京都、都市計画に精通した専門家と歩調を合わせて、総合的な将来計画を摸索していくことになろう。

神宮外苑は、首都東京にあって、文化財産を保存・維持していくのみでなく、都民にとって豊かな憩いの空間として、だれにでも気軽に利用してもらえる外苑、親しみをもって幾度も訪れてもらえる外苑を目指していきたいと思う。

デザイナー、美術家、料理家。イタリアはヴェネツィアに通い、東京においても小さなエネルギーで豊かに暮らす都市型スローライフ「ヴェネツィア的生活」を実践しています。ヴェネツィアのマンマから学んだ家庭料理と暮らしの極意を伝えます。