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愛をもらうこと、それがきっと

PCでなら、スラスラ書ける文字がスマホだと指が動かないなと思いながら久しぶりに筆を取りました。
今の気持ちを残しておこうと思っているけれど上手くは書こうと思っていないので悪しからず。

地元に帰ってきて、早くも一週間が経とうとしています。意外とふわふわと生きているという感じです。


幸せになるために帰ってきたのですが、なりふり構わず幸せになろうと何度も思い、何度も誰かの発言で何度も辞める。

今の私はぜんぜん可愛くない。可愛くない生き方をしてしまっている。

麗しいか?うつくしいか?かわいいか?

見た目の話ではなく、こころの話。
素直で喜怒哀楽を自分自主が感じ取れて、理不尽な社会に屈せず幸せに過ごせていること。 

すげー綺麗事だろうか。綺麗事でもいいなや。もっと具体化すればいいか。
具体化する作業は、親しい彼に手伝ってもらおうと思う。
きっと彼は喜んで壁打ち相手になってくれることだろう。

私がこの町へ戻ってきた理由に両親との関係がある。
生みの親に「あの時死ねばよかったのに」と言われたことはあるだろうか。
死ねと言われたことのある人は多いかもしれない。勢いで死ねと。
殺してあげるとも言われた。

わたしはあの時、死ねばよかったのかもしれない。
と本気で思っていたらそれは間違いだといろんな人に教えられた。
あなたはちゃんと幸せになるべきだと泣かれもした。4つも下の後輩に泣かれたことは一生、忘れないのだと思う。

苦しみから抜け出したくて親しい彼に助けを求めた時、彼は「分かった。僕が守る。」と言ってくれた。もしかしたら、死ねと言われるのはおかしいのでは?私、ちゃんと愛されてもいいんじゃないか?と錯覚した。
錯覚したまま、彼のいる町へ帰ってきてしまった。このまま錯覚しておいてもいいだろうか。

彼から愛のある言葉をもらう時、私のこころはどこかへ行っている。
彼の言葉を信用していないのではない。
私が素直に受け入れられないのだ。
あまりにもまっすぐに飛んでくるそれは、美しく素直で太陽みたいで、まぶしくて目がくらむ事もある、でも時にはすごく心地よくって昼寝してるみたいに夢心地になる。そして、はっと夢から覚めるのだ。ずっと続けばいいのにと、望んでいる。

愛を素直にもらえるようになる頃に、きっと愛を返せるようになる。
今は彼からの愛を素直に受け止めること、そのものが彼を愛することになるのかもしれない。

そして、素直に愛を受け止める私はカワイイ。
一つずつ、かわいく生きていこうと思う。

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