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モンゴル人のご家族からSNSにコメントがきてセンチメンタル涙したので、感謝を込めて

モンゴルの魅力を書きたいと思う。一人旅の思い出を振り返りながら。

そこはかつて歴史上もっとも大きな帝国を築いた世界史の猛者が住まう国、大平原に暮らす遊牧民の息づかいを自然の中に感じつつ、経済成長とともに姿を変えつつある国だった。この記事が興味のきっかけとなれば嬉しい。

魅力の話は文章の後段に散りばめられている。というかモンゴル旅行記であるということを、読者様はまだ知る由もなく今知った。

先日久しぶりにFaceBookのプロフィール写真を変更したら、モンゴルに旅行した時にお世話になった家族のおじいさんからコメントをもらった。

Чамайг бид үргэлж дурсдаг шүү.аз жаргал хүсье.түр баяртай

字面の馴染みがなすぎて返信しなければスパムのコメントのように見える方も多いかもしれない。義務教育のありがたみ英語と違ってテキストから内容の類推は不可、Google翻訳にどう訳されるかその刹那に全ての感動が集中される。ドキドキ。以下、コピペ&入力して出力されたアンサー。

Чамайг бид үргэлж дурсдаг шүү.аз жаргал хүсье.түр баяртай
私たちはいつもあなたのことを覚えています。私はあなたの幸せを願っています。

Googleさんほんまですか、泣けてしまうやん。私の涙腺は全然自粛してなかった。しばらくして感情の波が一周すると冷静にGoogle翻訳の存在に敬礼した。

僕がモンゴルに一人旅に行ったのは今から6年も前、2014年の7月の頃だった。だいぶむかしの話になってしまった。今こうやって当時宿泊させてもらったご家族と連絡が取り合えるのは、インターネットとSNSと翻訳サービスという海外発祥のインターナショナルなテクノロジーのおかげだ。

オンラインに馴染み薄の私でも本当にこのサービスには感謝しているし、モンゴルの人たちも感謝していると思う。無論、交流の前提には私の“人柄”という掛け替えのない国産の賜物、引いては国土、家族・友人のおかげがあることは言うまでもない。

モンゴル旅行当時、私は新卒で入ったネット広告代理店の営業マンとして5年目を迎えており@東京で毎日鬼の形相で働いていた。常に時間との戦いだった。昼食は取らなくなり、トイレの往復もなぜか猛然とダッシュ、深夜からのビジネス激論交わし飲み一本勝負。

取り憑かれたように仕事狂ったが、一方私の内部は燃焼していた。もうこれ以上、可燃域が見つからない、英気は失われ蓄積された疲れは表情や毛根に滲み出ていた。仕事への過集中は限界を迎え、溜め込んで積もった残滓で心は真っ黒だった。ついには業務上で大きな事故も起こし、そうして2週間の休暇を会社から言い渡された。

せっかくの長期休暇、休めばいいのにせっかくなら海外に行きたい。それも、せっかくならあまり誰も行ったことがないところへ。(ある程度手近で安価に行けるところへ)

Googleマップで世界を見渡して目に止まった国。

モンゴル地図

それがモンゴルだった。

むかし先輩が「木村よく聞け、社会人はパーマと日サロとジャケパン、そして海外一人旅だ」と語ってくれた。全部試してモテなかったけど、中でも最高だったのは海外一人旅だ。経験が通用しない中で幾度となく迫り来る意思決定、想定しようにも多発する想定外を提供してくれる非日常、そう海外一人旅は全てが新しい刺激に満ち溢れている。

社会人になってから海外一人旅はモンゴルで2回目だった。1回目はアンコールワットで有名なカンボジア。トゥクトゥクのおじさんもドミトリーのおばちゃんも優しいし、チキンライスとかめちゃくちゃ美味しいし、多少お金を上乗せされたとしても物価は有難いことに安いし、熱帯で暑いから軽装で大丈夫だし衣服はすぐ乾くし、カラオケはキャバクラだし本当に最高だった。

ただ一つ反省点と言えばカンボジアに対しての知識を何も持っていかなかったこと。アンコールワット遺跡群を見に行った時、歴史も何も知らないから40分くらいで飽きてしまった。

初めて視界に入った時の興奮や感動がだんたん落ち着いてくる。感想はしだいに単調になり、やば、すご!とか暑い、暑い、うおおおおおぉっ!とか暑いぃ、神聖な雰囲気がする…ここ涼しい、ちょっと休憩しよ、となってしまう、そんなご経験はないであろうか、私にはある。

「初めて行く場所、会う相手でも事前に調べられることがあるなら調べろ。コミュニケーションは会う前から始まってるし、その情報をもとにうまく質問できたら相手もきっと喜ぶはずだ」と夜な夜な会社の後輩に向けて木村リーダーは語っていた。私だ。

とういうことで前回の反省を活かしてモンゴル旅行の直前、Amazonで私は2冊ほど本を買って日本を飛び立った。

一人旅行のバイブル「地球の歩き方モンゴル版」は携帯用のリアル本として、上の2冊の本は会社の先輩に誕生日祝いでプレゼントしてもらったKindleの懐に携えて空港と飛行機の中で読んだ。

私は元来紙の本をめくるのが好きだが、旅行とか荷物が多くなる時に携帯する本としてKindleはあまりに最高すぎた。スーパーライトに本棚を持ち運べるなんて。現在私は在宅ワークが中心だが、旅がライフワークであれば欠かせない代物だ。と言えるようになりたい。

さて読んだこの2冊、特に1冊目の「世界史の誕生」はモンゴルに行かなくてもとても面白い話だと思う。簡単に紹介すると、この著者は世界史というのはモンゴルはユーラシア大陸全土にかけて有史上最も多くの地域を統一した国であり、統一により西と東が国により分断されることなくつながり人と文化と経済が交流することで初めて本当の意味で国際的な世界史(1200年代)といのが始まるのだ、という切り口で歴史を語ってくれる。

モンゴルの歴史の知識といえば日本史に出てくる元寇というくらいで、モンゴルが日本に2度くらい攻めてきてやばかったけど台風か何かがこれ幸いして斥けることができたという、ラッキーな話としか知らなかった私としては、旅先のモンゴルが全世界の歴史の踊り場に登場した感じがした。

一時代の覇者だけあって当時のモンゴル騎馬隊はめちゃくちゃ強すぎたらしく、ついには東ヨーロッパまで攻めこみ、そうして西欧文明は危機感の中で海に活路見出し大航海時代が始まった(陸路最強すぎるけど海路と空路に負けてしまったのか…)などの断片的な歴史の事実をストーリーとしてつなげてくれるのも面白い。

征服すると経済は単一通貨「元」にしっかり統一したけど、その土地の宗教を迫害することなく寛容だった(強いけど優しい…!)など、学んでいた知識が大パノラマでつながりつつ、現在は当時と比べてこんなにも小国となったモンゴルや世界情勢と比較したり照らし合わせてみたりすることができる、とにかくもっと早く出会ってればよかった〜とも思わせる本である。

2冊目の「蒼き狼」は狼=テムジン=チンギスハンを主人公にした歴史小説でとっても読みやすく、血を分けた一族とともにユーラシア大陸を統一するまで攻防と葛藤が描かれている。歴史ではチンギスハンとフビライハンとかは聞いたことあると思うが、その他にもモンゴルの英雄となっている兄弟はいて紙幣なんかにも印刷されている。現地で彼らの名前を言うとお世話になった方みんな喜んでくた。

ということで粗めであるが多少モンゴルのことを知ってモチベーションMAXの状態でかの地に降り立った。

モンゴルへは中国の北京などを経由して大体6〜10時間。トランジットが短ければ午前中に出て夕方にはモンゴル到着という近さで、しかも往復で6万円程度〜という価格の安さである。お酒と後輩と時々お姉ちゃんにお金を費やす魔界都市新宿で働く営業リーダーであったとしても多少無理しても、手の届きやすい価格だ。無理してるんかい。

モンゴル8

空港付近はモンゴル大草原!でイメージ通りなのだが…

ざっくりモンゴルの概況を伝えると国土は日本の4倍、人口は300万ちょっと(横浜市の人口より少ない)、日本より大きいのに人口は少ないから人口密度は150分の1(とっても粗密)と思いきや首都はウランバートルは人口150万くらいで全人口の半分が首都に集中という一極化している国である。

モンゴル14

空港からウランバートル中心にいくとそこは高原のイメージは全く感じさせない大都市という感じで、大きな高層ビルが立ち並び、ベンツとか高級車がいっぱい走っていたり、半円型の大きなブルーのホテルがシンボル的に立ち誇り、ルイヴィドンのショーウインドウがドカーンと目に入ったり、空き地とか隙間スペースは工事開発中とまさに都会そのものだ。

2011年にモンゴルは世界の中で経済成長率NO1になったというのもなんとなく分かるような気がした。モンゴルといえば家畜とともに移動式の住居(ゲル)で暮らす遊牧民というイメージだが今やその割合は、全人口のいまや2割を切っているという話しもあり定住&都市一極化の象徴的なまちがウランバートルである。

さて、私が訪れたのは初夏の6月だけどモンゴルは全体的に高山地域で空港のある首都ウランバートルでも既に標高1,300m程度なので日差しは強く気温は30℃くらいあってもとても乾燥しているので日本では味わったことないような爽やか夏で気持ちが良い。(ちなみに私は旅行中、中々お風呂に入れなくて3日間くらい入らなかった時もあったが全然平気)

ちなみにモンゴルの冬は平均気温がマイナス10度を下回るほど激烈に寒く、恐ろしいことに視界から色彩が消えるらしい。ということでモンゴルへは美しい動植物に溢れてる夏に行こう。

さて、東京で疲弊していた私はどちらかというと都会よりモンゴルの大自然を堪能したい派だったのだが、特に予定も計画も決めてなかった。そのため空港に着いてどでかいバッグを背負ってキョロキョロして取り急ぎエクスチェンジしてウロウロしていると一人の男性が声をかけてくれた

男性は年齢40くらいだろうか、大柄というかふとっていてお腹は出ているので下半身に安定感があり、肌の水分量は多め、顔は垂れ目で優しそうな外見だった。ハローと声をかけてくれて単語英語で喋っていて分かったのは、男性はどうやらタクシーの運転手さんのようだった。

カンボジアでお世話になった時も停留所で声をかけてくれたトゥクトゥクの運転手(ボンさん)だったし、旅行中ボンさんと多くを一緒に過ごさせてもらってとても良い思い出だったので、今回もこの人にお世話になろうと思ったが流石にそこそこ警戒はした。

とはいえお腹も空いてたのでお昼が食べたいんだ、と言って地球の歩き方に掲載されているショーロンポーみたいな羊の肉を使ったモンゴルの郷土料理である餃子写真を指差したらOKと言って運転手さんが得意気に連れてってくれたのが「ケンタッキーフライドチキン」てかカーネルサンダースさんだった。

駐車場にとまってあなたの目的地はここだと指差されたけど、人のことを信じるから始める私でもこれは違うな、それも明らかに。だって衣と肉の種類が違うもんと思った。プクッとした様子で写真を再掲したら、悲しそうな顔をしてその場所に連れてってくれたのでほっと安心した。

モンゴル11

お目当の餃子を運転手さんと一緒に食べた。ちなみに、物価は日本の3分の1くらいでものすごく安い。羊肉の餃子で風味と癖が日本で食べていた餃子と比べうんと強めだったが、私は元来ジンギスカン好きだったこともあって美味しかった。

モンゴルのお肉事情について書くと7割は羊肉、2割は牛肉、1割はその他ケモノ(※後掲)といったところで、豚肉や鶏肉はその後も殆ど食べなかったしスーパーに行ってもあまりみなかった。卵は高級品だった。

豚や鶏は冬が厳しいモンゴルの気候に合わない&逃げちゃうから遊牧や放牧というモンゴルスタイルに合わないのだろう。モンゴルで昔から重要視されている家畜は5畜といって「羊・牛・馬・ヤギ・駱駝」である。

ということで、普段中々有り付けない鶏肉の高級品「ケンタッキー」をあり付けるチャンスととらえ私木村の要望を差し置いてまんまと目的遂行をしようとしたタクシーの運転手さんはオイガーと名乗った。

食事のあと市場に行ってモンゴルの民族衣装を購入したが、オイガーが強気に店主さんと交渉してくれているか口裏を合わせてるかわからないけど中々かっこいい服を割と安い金額でゲットすることができて感謝した。

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市場の様子。衣類系のお店が多い。写真にはないと思うがモンゴルはカシミヤ(山羊)が有名で安く買えるらしい

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民族衣装着用(道を歩いている人で来ている人はほぼいない)。銅像の方はスフバートルさんという中国(清帝国)から独立を果たした革命家兼モンゴルの英雄。かつて、広大な帝国を築いたモンゴルはその後中国の統治下となったがスフさん主導でなんとか独立する。その後はソ連の庇護下におかれ1990年代に社会主義から民主化を果たし著しい経済成長を果たす一方、貧富の差がめちゃくちゃ拡いているという波乱万丈な国、モンゴル。

初日の夜は取り急ぎ市内にある安いドミトリーに泊まることにして、オイガーにお願いしてそこまで向かってもらった。明日はどうするんだ?と言われたのでうーん明日はここに行ってみたいなあ〜とモンゴルの西のはずれにある大きな湖が乗っているページを見せたら、OK分かった明日連れてってあげるということで早朝にドミトリーの前に待ち合わせることにした。

明日から自然に接することが多くなりそうなので、今日はシティボーイ的な遊びをしようと夜、取り急ぎ若者が集まりそうなキラキラ系ナイトクラブに意気揚々とモンゴル民族衣装とハーフパンツの出で立ちで入ろうと思ったらスーツ姿の門番二人にドレスコード!と言われて半べそかいて退店した。

スーツが張り裂けそうなくらいパンパンで巨躯のお兄さんの威圧にやられたことは言うまでもない。めちゃくちゃ強いって、本で勉強して知ってる。一旦戻って長袖に着替えを済ませ雑多系ナイトクラブにお店を変えて出直した。訳も分からず取り急ぎ踊って一夜を過ごした。

明る朝、時間通りにオイガーはやってきてくれたが、謎の若い女性を連れ立ってやってきた。私と彼女の間に不穏な雰囲気が流れる。どうみても他の観光客の雰囲気ではないし、恋人かと思ったが「この人は私の妻です」とオイガーは言う。そうか妻か。妻なら納得で安心だ。どうして?

観光地に行くなら妻も一緒に、この場に及んで断ることはできない。オイガーのずうずうしさというか妻想いの優しさ?に困惑しながらオイガーのタクシーに乗り込んだ。すると小僧が2人が隠れていた。そうか、家族総出か。控えめで優しい奥さんの名前はタイガと言った。

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ウランバートルを抜けると大平原が広がっていて、窓から羊や馬や駱駝などが目に入るので声をあげてリアクションしつつガイドブックにのっている動物のモンゴル語の呼び方などでコミュニケーションを取っていた。それからモンゴルと言えば相撲の交流だと思い、相撲や朝青龍を発音したらすごく喜んでくれた。

ちなみに、モンゴルの郊外は大体上記の写真のような風景が続く。川が少なく、田んぼも畑もない。野菜のほとんどは輸入に頼っている。それが理由かモンゴル人はビタミン不足に敏感らしく、草原に生えている食べれる草をビタミン!と言って採って分け与えてくれた。

モンゴル29

手前が馬乳酒。臭みというよりめちゃくちゃ酸っぱい。ナーダムというモンゴル全国民大運動会というお祭りイベント用に用意された食べ物たち

さすがに野草だけではビタミンは補えないので、肉のほかに乳の発酵食品、馬乳酒やチーズみたいな食べ物からビタミン+強めの獣臭を補っているそう。それに加えてとくに冬のビタミン源らしいきゅうりのピクルス(酢漬け)を旅行中めっちゃ食べた。

話を車の中に戻す。段々と到着に近づいてきているような気がしているが道中にある標識とガイドブックに載っている目的地と名前は一向に一致しない。少し不安になって奥さん(タイガ)に改めて行きたいガイドブックの目的地を指し示したら、何やら怪訝な顔をしてオイガーに詰め寄って何やらやりとりしている。

ここからは想像だが、

「木村が行きたがっている場所は今向かっている場所じゃないわ。ねえどうするの」

「そんなとこ遠くていける場所じゃない。〜(今向かっている観光地)も素晴らしい場所だからきっとここで満足してくれるさ」

「勝手に行き先を変更して大丈夫なの」

「大丈夫大丈夫」

モンゴル語はもちろん全然聞き取れないので分からないけど多分こんな感じだったと思う。道中途中から目的にしていた湖に行くのは諦めていた。果たせるかな、着いた場所に湖はなかった。かわりに岩肌がむきだしの山や大きな岩がある景勝地っぽいところに連れていかれた。

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左から2番目の小太りさんがオイガー。子供達は緊張している様子

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またオイガーに勝手に行き先を変えられた、とちょっとムスッとした感情もあったかなと思い出すけど、なんだかんだ連れて行かれた場所も見晴らしも素晴らしく、初めてモンゴルの自然に触れる機会だったので十分満足したし、乗馬もさせてもらって楽しかった。オイガーとタイガもしっかりデートを楽しんでいるようで、写真の取り合いっこしてそれもまた良かった。

正直、湖に行きたいという動機について、強い目的があったわけではなく釣りをしたかっただけだ。私は海外で魚を釣ってみたい、という野望がありカンボジアに旅行した時も釣竿を持参して、世界三大河川メコン川に糸を垂らし入れたりしたが結局釣れず、モンゴルでリベンジを果たすつもりだった。

メコン川釣り

メコン川は大河過ぎて釣れず

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モンゴルでの釣り風景。一通り観光が終わってオイガーから、湖に行けなくてごめん、釣り好きの友達がいるから今度彼と一緒に行こう。いつまでモンゴルにいるんだ?2週間いるよ。それなら大丈夫。実際その後連れてってもらって見事、、、

モンゴル6

釣れました。私史上最初の海外産野生魚との釣り交流

ところで、今日の夜はウランバートルにあるうちに食事に来ないか?と言われて有難くも二つ返事で行く!と言った。

モンゴル17

ここがオイガーのお家。ゲルだった。マンションや一軒家も多い街だったが、これは通称固定式のゲルが集まる地区らしく動かない。電気は通ってるが、水道はなかった。中は思いのほか広く、寒くなる夜も温かった。

その晩、タイガの作ってくれた夕飯をいただきながらオイガーとたくさんお酒を飲んだ。モンゴルビールも美味しかったけど、ロシアに近く寒い地域だからかアルコール度数の高い酒、特にウォッカが好まれており見かけ通り酒に強いオイガーとめちゃくちゃ飲んで意識を失うように寝た。

次の日からオイガー家族とともに楽しく暮らす日々が始まった。近所のお友達と何やら共同保有している別荘に止まりにいって子供と遊んで大人と飲んで食べたり、異常な視力で捉えて撃つモルモットの猟を見に行ったり、オイガーの両親と川沿いでBBQしたりサッカーしたりモンゴル相撲をしたり、キャバクラじゃないカラオケに行ったりと遊びつくした。

モンゴル2

オイガーは上裸

モンゴル3

※後から地球の歩き方を読んで知ったがペストなどの感染の可能性があるのでモルモットは絶対に食べてはならない

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遊牧民の暮らす移動式のゲル、通称ガチゲル。ガチゲルの床は草原です

モンゴル1

オイガーの父「ヤゴー」もまた上裸、この方がSNSにコメントをくれた。オイガーの息子ともだいぶ打ち解けた。

たくさんの交流をする中、気づいたことはモンゴルは親日の方が多いようで、やはり相撲での交流や日本製の車は壊れにくい(オイガーもトヨタの車に乗っていた)という話題や良いイメージ、あと当時モンゴルは2Gの世界だったのですがWiFi環境はしっかりしてて日本のアニメ(特にNARUTOが流行ってた)を熱心に見ていることを紹介されたりした。

それから車で走っていてもこの橋は日本の力を借りて作られたんだなどの技術支援、寄付などの経済援助も行っているなど日本にいながらにして知らなかったことで感謝されているのはすごいし有難いことだと感じた。

一方で中国のことはよく思っていなく、歴史的に支配下にあったことや今でも内モンゴル自治区(モンゴル族の人口がモンゴル国より多い)は中国の領土なんだ、木村知ってるか?と紹介されたりした理由がある一方で、対外的なモンゴルの取引先(輸出国の相手)は中国という歴史的に嫌悪したとしても経済的には中国なしにはいられないジレンマなどを感じた。

1週間ほどオイガー家族にお世話になりっぱなしだった私はさすがに迷惑かなと思い家族から一旦離れることにした。向かった先は、ハトガルというロシアとの国境付近にある大きな湖の近くにある町だ。

ハトがる

ウランバートルから飛行機でムルンという町に降りて、そこからバスで向かう。ムルン行きの航空チケットは全てオイガーが手配してくれた。ありがとうオイガー、また戻ってくるね。

モンゴル27

フプスブル湖。透明度がやばい。ハトガル周辺は別荘が多く、夏限定の保養地といった場所だけあって人が少なく静かで大自然に囲まれている。平原の草花が美しく少し目をこらすとリスみたいな小動物がそそくさといっぱい動き回っている。ワシやコンドルといった大きな鳥もいた。ウランバートルでは感じられなかった夜の満点の星空がここにはあった。

宿泊先は決めてなかったがバスが町に入った時にロッジを経営する若い敏腕女性に声をかけられそこに泊まることにした。ヨーロッパや韓国などから友人達と訪れている人が多く、夜のBBQなどにご相伴させていただき楽しい交流を果たした。

このあたりの河川にはタイメンというサケ科で世界最大級(2m近く)の怪魚がいるという情報があり鼻息あらく釣りにいったが釣れず。

モンゴル5

結果、ウランバートルで釣った魚に比べ地味になったがサイズは大幅にアップした。モンゴルの釣り方はいたって簡単で高原だからか動物が多いからかわからないがハエやアブがめちゃくちゃ飛んでる。帽子で彼らを叩き落とし、それを釣り針につけて投げるだけ、というフライフィッシング。

釣りのあと、個人的に衝撃な出来事が2つ起こる。

1つ目は、釣った魚をムニエル的な調理をしてもらって夜食べたのだが、これがとんでもなく美味しかったこと。肉ではなく魚を食べたのが10日ぶりという新鮮さ、私の味蕾が魚の旨味に歓喜した魚を愛する日本人復古の瞬間だった。

2つ目は男性向けな話であり、あろうことか文章の終盤になって下半身の話しで申し訳ない。一人旅も10日を過ぎ毎日高タンパクなお肉を食べていると、繁殖期を迎えた妙齢の成人男性の一人であった私。ハトガルでの夜は私一人。ジャパンのように恵まれた桃色の環境は今ここにはない。

ふと目に入ったのがKindle。ああそう言えば、書籍以外にマンガも入れていた。中国の壮大な歴史時代劇、キングダム20巻(ヤングジャンブ連載中)まで。ふと私の脳裏にひらめく序盤のお色気シーン。後宮の大奥が…。…ふうぅ、助かった。モンゴルの大地での一場面で私の体は今、欲望から解放され統一を果たしsふぁいおdfじゃpsdfじゃ、今一度Kindleに感謝を申し上げた。

さてハトガルも十分に楽しんだので再びウランバートルに戻るとオイガー達が出迎えてくれた。いよいよ帰国の時が迫っている。モンゴルではこの頃、ナーダムという国民のお祭りの時期が迫っていた。

ナーダムは毎年7月11ー13日の3日間で行われモンゴル相撲や射的、競馬のスポーツの祭典でメインはウランバートルのスタジアムで行われるが、各地域ごとでもナーダムは行われる。期間前でも町はお祭り気分で、子供の競馬レースが行われていてすごい迫力だった。この時期を見計らって来る旅行客も多いらしい。

モンゴル9

ナーダムのご馳走として若い羊1頭を買いに行く。

モンゴル10

羊は毛皮以外、ほとんど全て調理され食べた。黄色いお皿の上は、羊のホルモンやソーセージ。

旅の最終日、オイガーや家族に日本のカレーを作って振舞うことにした。スーパーにいけば日本製のカレー粉も売っている。美味しいといって皆んな食べてくれたがカレーのスパイス薬膳効果はモンゴル人には初めてだったようでその後、家族全員がオナラがとまらなくなって家の中がブーブークッションになった。

まだまだオイガー一家の胃腸の調子が良すぎる中、別れの時がきた。無論寂しかったけど感謝と満足でいっぱいだった。日本から持ってきた釣竿はオイガーの息子達にあげ、残ったお金は置いていき、折り鶴と手紙を残したけど足りないので、日本に帰ったらお礼の品をいっぱい送ろうと予定を決めて(国際郵便の手続きがめっちゃ大変だった)清々しくさよならを言った。オイガーと初日に出会った空港に二人でいった。

モンゴル28

遊牧国家モンゴルの穏やかで強い息遣いは今も人々の間にのびのびと受け継がれている気がした。時間や国境といった枠組みはモンゴルには相性が悪い。そういった形式を感じさせない旅行は新鮮で、凝り固まっていた世界観を大きく広げてくれる。

Гэр бүлтэйгээ хурдан манайд ирээрэй. 
ご家族と一緒にすぐにお越しください

そういえばタイガ(オイガーの奥さん)からもSNSで追伸がきた。モンゴル旅行から6年、私はいつの間にか結婚し子供も生まれ転職・転居しあの頃とは大きく変化している。し、モンゴルの皆んなも変わっているだろう、息子さん達はもう高校生くらいかな。

すぐに家族で行きたいけど色々あるからな〜

もし皆様の中でモンゴルに興味がある!行きたい!という方がいらっしゃればモンゴルコンサルティングします(場合によっては現地の方と取り次ぐ)ので、連絡くださいませ〜。

終わり




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