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杉真理 ライブ・レビュー 2024.8.9 SHIBUYA PLEASURE PLEASURE

アルバム「Mistone」のリリース40周年を記念して、収録曲をランニング・オーダーもそのまま演奏するという企画ライブ。とはいえウォームアップ的にまずはアルバム以外の曲を7曲演奏、アンコールも5曲とお得感満載の大サービスとなった。

「Mistone」は大学生のころを中心にもっともよく聴いた杉のアルバムのひとつで、思い入れの深い作品である。当時の杉は大滝詠一、佐野元春とのコラボレーション「NIAGARA TRIANGLE Vol.2」に参加、アルバム「Stargazer」から『バカンスはいつも雨』がCM曲としてヒットするなど注目を浴びていた時期。充実した意欲と恵まれた環境を背景に、満を持して制作、発表したのがこの「Mistone」であった。

今聴いても、CMタイアップも付いてシングル・カットされた『いとしのテラ』を核に、R&Bからロカビリーまで、ロックンロールからジャズまで、バラエティに富んだ曲群をミステリーをモチーフにしてコンセプチュアルに構築したこのアルバムは、このときの杉のもちうるソングライティングの能力とアイデアを全投入した力作であり、間違いなく杉の代表作のひとつであり、そして名作である。

しかしそれだけに曲のつなぎやSEなども含めアルバムの構成は非常に複雑で精緻であるうえ、たとえば『冬の海に』ではジャズ界の巨匠である中牟礼貞則(ギター)と稲葉国光(ベース)の即興をバックに歌うなど無謀な試みも行っていて、ライブで「再現」するのは難易度の高い試みである。いったいどこまで納得感のある「再現」を披露できるのか、期待とともに戸惑いもあった。

しかし、結論からいえば、そんなことはまったくの杞憂だった。もちろん限られた楽器や演奏者で、スタジオ音源を「再現」することの限界はある。しかし、そこにあったのは聴きつづけた「Mistone」であり、変わらない杉のボーカルであり、そしてこのアルバムとともに過ごした僕自身の40年間そのものであった。

アルバム自体がコンセプチュアルに構成されているので、通して演奏することとの親和性がもともと高いうえ、自分自身聴きこんでディテールまで頭に入っていることもあって、再現しきれない部分を脳内で補完しながら聴くことができた。そうした作品との向き合い方が、限られた手もちのCDやカセットを繰り返し聴いていた当時の自分の音楽との距離感をあらためて思い出させてくれたように思えた。

結構最初から最後まで泣きっぱなしだったのだが、いったい僕はなんのために泣いていたのかと自問しても答えは見つからず、そこにはもちろん懐旧はあったが、それ以外にも憧憬や悔恨、今ここにいることへの名前のつけようのない感慨みたいなものとか、このアルバムを聴き始めたころと今とが確実につながっていることをあらためて発見した驚きとか、そういうものが乱暴にミックスされてとにかくグワっとキたのである。

そういうアルバムなのだ。そういう、いろんなものがグワっとキてしまうアルバムなのだ。そして、それが丁寧に、注意深く、誠実に、一方で勢いよく、なにより楽しく、グワっと表現されていたのがこの日のライブだったのだ。

僕自身としての聴きどころは『あの娘は君のもの』がライブで聴けたことであったが、この曲は伊藤銀次をシレっとゲストに呼んでハモってほしかった。この曲だけ何食わぬ顔で銀次が袖から出てきて一曲コーラスしてサクッとハケる演出があってよかった。声をかけたら快諾してくれたのではないか。この曲は僕にとっては杉と銀次がほぼベタハモりの夢のような神曲(佐野元春とベタハモりの『NOBODY』と双璧)なのだ。

アルバムB面の導入にあたる『Panic in Submarine』『Davy's Devil』『Voice - She Got A Diamond』の連打もライブでこその臨場感を感じさせて、このアルバムのポテンシャルを再認識した。マイケル・ジャクソンからレナウン・イエイエ、ロカビリーというナゾのシークエンスはこの時期の杉からしか出てこない、他のアーティストではちょっと考えつかないものだと思う。実際にバンドの演奏で聴き、「そうか、こういうことがやりたかったのか」と40年越しに納得した。

しかし、このアルバムの白眉は、『冬の海に』が終わり、潮騒が静かに消えて行った静寂におごそかにかぶさる『いとしのテラ』のシンセの電子音である。ここはアルバムを聴くたび毎回鳥肌の立つところ。それをわかったうえで、間の取り方も含め丁寧に再現した演出に杉の本気と誠意を見た思いがした。潮騒(オーシャンドラム)担当の高橋もよかった。このライブに欠かせない重要なパートだった。

他にも『二人には時間がない』から『Backstage Dreamer』へのつなぎとか、ファルセットのサビを聴くと自動的に泣いてしまう『七番街の雨の朝』とか、好きなおかずしか出てこないごはんみたいな豪華なライブで、それはもちろん元のアルバムがよくできているからなのだが、そのディテールを軽んじることなくできる限り精密に、このアルバムを成り立たせている核になるものを的確に拾いあげて演奏するのは、杉本人にしかよくなし得ないところ。カネ払ってライブを見に来るというのはこういう体験なのだ。

『あの娘は君のもの』への銀次の参加と併せてもうひとつだけ希望を言っておくとすれば、『いとしのテラ』の「かすれたさよなら」のあと、オリジナルで聞こえる「グッバイ」のささやきはぜひ高橋にやってほしかった。


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