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『まがり』かもしれないけど、私も回遊魚

▶まがり…? 

『まがり』とは養殖魚の出荷水揚げ時に、『背骨が湾曲している』など、商品価値が下がってしまった魚のことを指します。(少なくとも私の住んでいる実家周辺ではそういった表現をします。)

 つまり、1尾◯千円という、本来市場で評価を受けるべき適切な価格で評価されることができなくなった魚です。

 しかし見た目はともかく、味は他の魚達と遜色なく、出荷のあとに、見つかったまがりをそのまま捌いてもらって刺し身で食ったりすると、べらぼうにうまいです。(小中学生の冬の思い出ですね、懐かしい…)

▶『労働力』としての私の価値

 今の私は同世代と比べても明らかに価値の低下した商品です。

 当然です、治るかわからない病気を患い、対面での業務はおろかデスクワークも行えない体ですから、正直『価値はない』とすら言えます。

 それは今の私自身が一番はっきり理解できます。今私は労働の市場における『まがり』もしくはそれ以下の存在であると納得もできます。

▶我が家は『回遊魚』の家系

 話はかわりますが、祖母はもうすぐ90歳が見えてきました。今も毎日のように畑に出ては自分で畑を耕し、野菜を植え、出来上がっては収穫し、私達家族や近所のばあちゃん友達におすそ分けしてます。

 「ばあちゃんは鰤(ぶり)やから、足が止まるとすぐ死ぬで笑」なんて言葉をばあちゃん友達が茶化して言ってきたこともあります。よくわかります笑

 回遊魚の一部(鰤やマグロ)はその動きを止めると自分でエラを動かすことができず、死んでしまいます。

 ばあちゃん友達が言うのは「ばあちゃんには常に何か目標ややりたいことを見つけさせ(動く理由をつく)るのが大事」ということだと思います。

 そして父も、養殖業を生業にしているだけあって、同じ血をしっかり継いでいます。よく似た親子です笑そして、どうやら僕にもその血は脈々と受け継がれています。『何もしない』というのが苦手です。恐怖の無菌室①でも書いたとおり、何かをしなければ時間が経たず息が詰まる感覚に襲われます。

 そんなおかげ?で無菌室にいながらもやることを見つけ、色々とこれまでできなかったことにも手がつけられるようになりました。(このnote投稿もその1つ、文章を書くことが楽しくなってきました。

▶『まがり』を克服した先の『社会人≠労働力』としての価値

 私はこの『急性リンパ性白血病』に絶対に打ち勝ちます。

 この病気を克服した時、『まがり』でなくなった私はやっと市場で価値のつけられる『労働力』に戻れるでしょう。

 だけど、『社会人』としてならば、他の人がめったに体験できない経験やライフステージを進んだ私は、きっとこれまでにない『唯一の価値』を持った存在になれると信じています。

 それを目指して、今日も狭い無菌室の中でも懸命に泳ぎ回っています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!