見出し画像

シティプロモーションがまちにどのように貢献しうるか

Ten-Labでは月に1度、合宿という形で全員が集まって、まちに関わったり、事業に取り組む際に大切にしたい観点や個々人の想いなどを共有する場を設けます。
ここでは9月合宿で議論した「シティプロモーションがまちにどのように貢献しうるか」について、ご紹介します。


お題:シティプロモーションがまちにどのように貢献しうるか。

議論に先立って、参考にした文献はこちらです。
『シティプロモーションはどのように評価すれば良いか』
小樽商科大学 野口将輝さん(公共コミュニケーション研究2019年4巻1号)


『シティプロモーションはどのように評価すれば良いか』の要点と議論を進める上での観点

①研究の背景と目的
(背景)
・河井によるシティプロモーションの定義「地域を持続的に発展させるために地域の魅力を地域の内外に効果的に訴求し,それにより,人材,物財,資金,情報などの資源を地域内部で活用可能としていくこと」
 ➡︎昨今の移住者数指向のシティプロモーションが「地域の担い手確保」に寄与しているか。
・シティプロモーションの評価指標が定まっていない。
(目的)
地域の持続的な発展を可能とする地域の担い手の確保を軸としたシティプロモーション評価の可能性を議論し、北海道東川町でのケーススタディにて地域の担い手を確保できているかを定量的に明らかにすること。

②求められる地域の担い手
・地方分権と地域コミュニティの弱体化による担い手の不足
・「関係人口」の提起。移住・定住のみを目標とせず,ふるさととの複層的なネットワークを形成することで,継続的な地域づくりの環境を整えようとするもの
・行政と移住者の間の論理の乖離
 行政側:現在,将来に渡って地域を担うことを期待
 ⇄移住者:地域のために移住するのではなく,あくまで自己の生活のために移住

③研究デザインと調査概要
(ケーススタディ:北海道東川町/道内では過去10年で2番目の人口増加率)
移住者へのアンケート調査をもとに、シティプロモーション施策と、移住者の①地域への愛着、②地域における社会関係資本の多寡(地域住民との信頼・交流,助け合いの程度)、③行政との関係性,④住民参加への意識と実際の参加の有無、の関係性を検証。
(調査結果)
・移住促進事業や情報発信の充実度に関わらず、シティプロモーションの接触群は非接触群に比べ、地域への愛着・誇りを持っている
・インターネット・マスメディアによる情報に加え、移住相談・イベント、移住体験などリアルでの交流が盛んであった時期のシティプロモーションが、地域の担い手の確保に有効に機能していた
・地域への愛着や誇りが、社会活動への参加意識や実際の参加へとつながる可能性が示唆された
➡︎地域への愛着や誇りが、将来的な地域の担い手育成のための重要な要素

④議論を進める上での観点
・研究では移住者(主にIターン者)を調査対象としているが、 Uターン者・定住者についても同様にまちへの愛着や誇りが社会活動の参加意識・参加に影響するか
(ただし、定住者はシティプロモーションに触れる機会は薄い)
・関係人口と居住者の人との直接的な接触機会が、活動への参加意識・参加を加速させる可能性がある
・(研究成果では触れていないが、)居住年数が愛着・誇りに関係する可能性あり



(以下、テンラボでの議論)

シティプロモーションの先に何を見据えるか。

関係人口に対して、シティプロモーションや行政をはじめとした地域と接触する機会が、地域の担い手確保において重要だとデータから読み取れる点は非常に有用。

⇒論文の中でも触れられている行政側と移住者の論理の乖離という視点が重要だと思う。行政側からしたら地域の担い手になってほしいという想いがあるが、移住者からしたら自己実現の場としての地域というところが大事になってくるのではないか。この目線は忘れてはいけない。

⇒研究の中ではシティプロモーションのアウトカム指標として「地域の担い手:社会運動、住民運動、市民活動や支援活動の参加」としているが、今テンラボが関わっている鹿児島市のシティプロモーション事業のPLAY CITY! DAYS(以下、PCD)とKagoshima Lovers Project(以下、Lovers)が起こそうと思っている変化はこれでいいのかという視点は大事。

⇒鹿児島市の『シティプロモーション戦略ビジョン』では鹿児島市に関わる人を増やす、ファンを増やすことを目標としているが、そのファンはシビックプライドを持ちながら、当事者としてまちをより良い場所にする市民を増やすことであるが、それを測る指標は「地域の担い手」として捉えて良いか。

⇒PCDについては、大きなところでいうと、地域の未来というのもあるが、市民一人ひとりの幸福度の向上といったことが考えられる。あるいは、行動ベースでみると、ハッシュタグをつけてつぶやくとかは1つの現れだと思う。それは人によっては市民活動に参加するよりもハードルが高いかもしれない。PCDを通してどういう変化を起こそうとしているのか、という議論が必要になりそう。

⇒Loversについても、それは参画なのか、ただ接続された状態なのか。参加者がコトを起こすことに軸足を置くか、鹿児島の人とつながってもらうことに軸足を置くかにもつながってくる議論。

⇒Loversは、関係人口の議論でも出てきたが、ただ興味があって、楽しいところだけ参加します、というよりは、今後地域を守っていく活動をしていく、ちゃんと継続的に目的を持って関わってくれるというところな気がする。PCDも同じようなことかもしれないが、ラバーズの方がもう少し熱量が高いかもしれない。

⇒魅力的なコンテンツを消費するのではなくて、まちに投資する目線や自分も何かを生み出していくことで、このまちが魅力的になって、自分の暮らしも楽しく豊かになるというポジションを見つけてもらう。それはPCDにもラバーズにも共通する立ち位置かもしれない。

立地条件や地域性の違いはあるか。

中心部から遠い市町村では、シティプロモーション的な考え方をもつ機会や環境があまりないかもしれない。そのようなまちでは、行政も住民・事業者もシティプロモーションというより、どちらかといったら観光という考え方が強いイメージがある。

⇒中心部でなくとも、シティプロモーション施策が際立っている地域もある。そこの差は、地域側に受け皿が多様にあること、特に移住者が多いかどうかにもポイントがあるかもしれない。

まちの文化や相互理解、耕していくということ。

シティプロモーション施策としての変数もあるが、その手前にその地域の有する他者に対する理解とか多様な存在を認めうる文化みたいなものがもっと大きな変数としてあって、それらがプロモーションの露出との掛け算によってインパクトとして表れると考えると、鹿児島市が数字として愛着・誇りが高いのは納得できる。

⇒このシティプロモーションの変数にどうアプローチできるかだけでなく、その地域が多様性を受け止める文化であるかどうかに対して、PCDは直で触ろうとしている面もある。だからその掛け算が効いてこないとおかしいはず。

⇒だからPCDとLoversを一緒にやることで、「ここには多様性を受け止める柔らかい土があるよ、だからここに着地してね」という導線ができるから、テンラボは自信を持って関係性を提案できるというのはあるかもしれない。

⇒人口数万人のまちだったら、主な対象は出身者で他所にいる人たちになってしまう。出身者だと勘所がわかるので、この人たちの近くにいれば攻撃されないなど。人単位でつながる道筋を持つ人にしか門を開いてないから、間違って紛れ込むことが少なくない。

⇒逆に大きなまちになると、個が埋もれしまうので、その人たちと繋ぐために、パブリックな組織、行政がやる必要がありそう。一方で、面白い人とかが眠っている可能性を掴みにくく可視化されにくい。同じ人に偏ってしまいがちになる。鹿児島市はここ10年ぐらいでコミュニティの厚さは豊かになった。そこに対してテンラボは何かしらの貢献はしてきたと思う。

⇒コミュニティがある程度育ってるが故の派閥ができてしまうにも留意が必要。それを知らない外からやってきた人が地雷を踏むこともある。

⇒特に行政が主導しにくいところでは、まずは個人ベースで地域をぐりぐりすること、耕すことが大事そう。

自分にとって良いものを自分のものさしで見つける

鹿児島にまつわるプロモーション系でよくあるのが、西郷さんと桜島に頼りすぎている気がしますよね。笑
これは個人が鹿児島の魅力を語る時にもとっても同じことが言えて、自分のものさしで判断することが全体として少なくなっていることが課題なのではと感じる。

⇒その行為自体が、現代の生活様式の中で難しくなった面もある。これはSNSの弊害のひとつで、瞬間の思いつきが瞬間のいいねによって瞬間で承認されてしまい、それらを自分の中で積み上げて育てていきづらい状況があるかもしれない。ちゃんとした文章を書くとか、ちゃんとした作品に仕上げていくというのが、手間とそれによって得られる承認のバランスが悪くなっているということがあるかも。

⇒でも逆にだからこそリスクを負ってじっくりコツコツ古民家再生するみたいな人が出てくるのは、そういう瞬間の承認に疲れたというか、そういうことじゃないよね、ということかもしれない。

⇒自分のものさしで良いものを見つけるということが、普通の会社にいるとやりにくいと思った。上の人がいうことは、自分がNoだろうがYesだろうがやらないといけない。企業文化。特に地域は多い傾向にありそう。それを繰り返すと自分の視点がなくなってしまう。働くという構造がこれにつながっていると思う。

⇒そもそも学校においても、問いを自分自身に対して投げかける機会が少ないように思う。そのままエスカレーター方式で社会人になると、ベルトコンベアーみたいな思考になる。自分なりのものさしで仕事ができず、地方ではより閉鎖的なイメージがある。

⇒だとしたらPCDやLoversにもっと違う意味づけをする必要があるのかもしれない。心療内科的な存在。職場でなくした心を探しにくる場のような。

⇒その場合、自分の名前で世の中に何かを成すということを仮想体験できる場所を求めているというか、本業で鬱屈した思いを吐き出す場というスタンスだと、消費されているのと紙一重という見方ができるかもしれない。気にすべきは、承認欲求を満たす場ではないということ。その視点が入ってしまうと、地域側にとっても良くない。


テンラボという存在

役所は性質的にそういった評価がなされやすいかもしれない。その人たちの中でもテンラボにガンガン関わってもらっている人たちはどこでその枷を外せたのか?
その辺はテンラボという存在に関係してくるかもしれない。

⇒PCDに参加した動機のひとつとしてテンラボとつながりたいという人もいる。仕事にも役立つスキルだったり関係性が保てるんじゃないかと思っているのかもしれない。鹿児島170人会議に参加して変わってきたという人もいる。スイッチが変わった1番の原因はなんなのか。ここのインタビューする必要がありそう。なぜ立場を超えてひとりの人として地域に向き合ってくれるようになったのか。

⇒民間でも経営者が強い会社に勤めている人とか大変そう。自分で動きたいけど、周りの目が気になる。どうやってその束を外せるのか。ちゃんと聞いた方が良いかも。それを積極的に仕掛けることはできないが、それが生まれやすい環境をつくることはできる。

終わりに

「テンラボの周りにはイオン化した人がいる」と仰る方がいた。カチッと固まった細胞がテンラボの近くにいくと分子レベルで離れて、ばらけた人たちがひっついてまた違う構造体として生まれる。原子同士を分解してくっつきやすくする構造がテンラボの周りにあるのかもしれない。でも気を付けないといけないのは、1回原子同士を分解していること。結果、居場所が変わらないと生きやすくならないこともある。


(今後、更なる議論が必要なこと)
・今回扱った研究の出発点はシティプロモーションであり、その目的を紐解いていくと地域の担い手を増やすことが、そもそもシティプロモーションの前提としての定義だという所から議論が始まっていると思われる。そこは引用文献である河合さんの研究等も踏まえ、「地域の担い手」に焦点を絞っている前提の議論をしっかりと追う必要がある。
・地域活動と自治活動について、研究の中で居住歴が長いほど自治的な担い手に緩やかになっていくであろうという仮説はある。一方で社会活動、市民活動としての担い手は居住歴とは関係ないとい仮説は成り立つ。それでいうとPCDもLoversも現時点では期間が短いため、自治活動に接続するビジョンは持ちづらいが、5〜6年続いていくと緩やかに自治の話につながっていく可能性がある。これは時系列をおった議論が必要。
⇒これは特に中山間地域では重要な視点になりそう。例えば、横川町の取り組みをみていると、社会活動と自治活動の線引きがないところもある。エリアによっては自治活動の中に社会活動が飽和されていたり、社会活動で課題を解決するために自治活動と接続せざるを得ないこともある。
・東川町のケーススタディでのデータで、WEBとリアルでの接触機会がである場合の方が、情報が出揃って全てネットで完結してしなう場合よりも、担い手率が高いという興味深い結果がある。これは肌感でも何となく分かる。特に今年はPCDもラバーズも全編オンラインなので、構造としてそれに近いことが起き得るので、そこをどう乗り越えるべきかは考える必要がある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?