sénṭəmənt 書かされた意味をずっと考え続ける

sénṭəmənt 自分らしくないものをひさびさに書いた。まあ一年ぶりだな、寂然と水鏡のときもそうだったが、出てきてしまう詩には感情がのり意味がある。自分でもそれはわかっていたので。

はじめ、かかれていることが愛だなとおもったので、titleはLeviathanだったかな。英語表記にしたかったっていうのはあって、でもなにかしっくりこなくて色々ググってね。ἀγάπηアガペーとか、まあ旧約聖書を漁ってみたけど、しっくりこないわけでして。

けれど愛にしては妙に感覚的なものが心情として連なるばかりおぼろげで、いみがとれないことは明白だったし、自分がまっすぐに書くことはまずないだろうとおもって、よくよく自分でも作品を覗いてみて、結論として、詩篇をどう読み取るか、そういう意識を感覚として書いたものだと思ったのです。

「sentiment」とは、「気持ち」や「心情」「感傷」「私情」といった内面保持し続けるあるいは外部表明する見解意見意味する英語表現である。weblio.jpよりコピペ

気持や心情、のほかに、見解や意見を意味するとされるこの単語を、titleにするにあたって、発音記号にした意味は作中に『ひとつの詩篇を聞き取り』とあるからなのですが。

『わたしは耽読した』と後にあるように、ほんとうは『(あなたは)ひとつの詩篇を聞き取り』というように相手がいるわけなのですが、ここは男女間を思わせたくなかったのでカットしました。
『書いた言葉が外縁を彷徨いながら / 頬は触れた感覚をもとめている』なんかも意味深な感じに仕上げたつもりでした。まあ自己満足ですねそれは。

んで結局、titleとして愛を外したので、愛と調べてはじめに出てきた『そのものの価値を認め、強く引きつけられる気持。あい(愛)』を最終連に足すことにしたわけです。

* (中略)sénṭəməntコメント欄参照

ここ最近作品として模索しているものとは明らかに違うものを書いた自覚はあったので。。コメントいただいたことに対して怒らなければならなかった理由があった/と自分で納得したところ/矛盾だよそんなの。とわかってたから/もうやめようとおもった・迷った・そんなかんじ。

・欲しいものしか欲しくないじゃないか!と、自分に嘘はつけないなという気持が芽生えたかんじ。

はっきりしておかなければいけないと気付かされましたね。

作品と作者を切り離すのは難しい。けどそれが作品を提示するという意味なんだよな。手放すことが出来るかどうか。すべての人にすこしでも……感化できる、なんてことありえないのだから、いろんなご意見がくるだろう。わかっていたが実際喰らってみると、なかなかのパンチでしたね(*_*; 
なにを言われてもそういうものだと飲み込める強さ 自信をもって読み手に快く渡す、責任
きちんとしておきたいところです

・もう一点は、まあ、らしくないものには意味があるけど自分ではなかなか捉えることが難しいというかんじ。

ほんとうはそういった純粋なものだけが詩とされるのかもしれないけど。普段はもっともやもやしたものが普段からもちゃもちゃといるので、それに姿を与えなければ言葉にもならなくてなにも見えやしないので。
別に言葉を着飾るためにああいう書き方してるんじゃないが……まあそう見えるのだろうなと、どれだけ言葉を尽くしても、そう思われると悲しくもなりますが。
普通の言葉として出てこれないから、それでは本当に頭の中にいるものとは違うから、ひとつひとつパズルピースのように言葉をあてがっているんだ。
そのガタピシな作品は、考えて考えた末の自分の頭の中を忠実に再現したようなもので、もちろん意味もわけもわからないコラージュでしかない。理解とは遠いところにある、言葉にできない感情を、揺さぶるだけのもの。そういう物を書きたいと思っている。

さて、今回のような自分の心情に突き動かされるように書くことってあまりないから、いまのナガモノは自分の美学を信じ書き続けていきたいとおもっているところです。まあ見た目ガタピシな文字列でありますから、文字には意味が付属している限り 難しい のかもしれませんが。精進あるのみです


しかし自分の中で占める愛や詩篇、そのものがこの作品を書かせたのだと思うと、まだまだ答えには程遠く、自分自身がずっとこの作品を事あるごとにみつめていかなければならないとおもった次第です

まあ自分のペースとスペースを守りたい。楽しいより楽だなを大事にしたい
無理しないで、続けていきたいものですね、詩作をライフワークとして

2024/09/07