心の海という仮説
自分一人ではどうにもならない時がありますよね。
そんな時は当然の選択肢として、人を頼ることです。
何をありふれたことを…と思うでしょう?
頼り方を変えてみましょう
私の仮説ですが、心というものは、深層化で繋がっています。
海のように。
水というものは、流れるもの。
流れて辿り着くのは同じ海。
思いもよらない所へ連れていってくれる。
心は海によく似ていると私は思うのです。
人を励ますこと
自分が苦しい時こそ人を応援したり、優しい声をかけようと行動してみる。
笑顔を持って。
自分が苦しい時にそんなことできるか!(笑)
自分が苦しい時に、人を励ますことができるような人なら、
そんな人はとっくに救われているわ!
そういうことです。
え⁉ は⁉(笑)
行動を変える
何だっていいのですよ。
・笑顔で挨拶する
・困っている人はいないかな?
・何かしてあげられることはないかな?
そんな風に悩みの視野を広げていくうちに意識が変わっていくことに
気がつきます。
感謝
私たちは肉ですか?水ですか?粒子ですか?
もし物質で出来ているというなら、心はどこにありますか?
誰かに助けられたという経験のある人には勝てないと私は思っています。
一人で産まれ、一人で育ったと言う人ほどもろいように思います。
地球も、宇宙の中の一つの太陽系の惑星。広がり続ける銀河の一部でしかない。
その地球に生きている人間。
全てが宇宙素材で出来ている。
大事なものは全て見えない
宇宙探査機に写っている場所には何もないように見えますね。
なぜでしょうか?
それだけ私たちの素材が荒いのでは?
細かくなればなるほど、
肉眼では捉えられなくなるというだけで、
宇宙には多くの生命体が存在しているのではないかと思います。
心、記憶、生命というものは存在しているということを
教え、伝えようとしているようにも思えてきます。
科学もその一つの手段なのかも。
素晴らしい歌を聞いた時、感動して涙が出たり、
大好きなその人の声を聞いた瞬間に嬉しくなったり。
声という見えないものに、
心を動かされる瞬間。
信じること、祈ること、感謝すること。
心の海はそんな瞬間に強く感じることができるように思います。。
亡くなったあの人やこの人もあなたの胸の中に生き続けていますよね?
本当に消えて無くなるということは、すっかり跡形もなく、
記憶からも消え去るということでないと私の中ではなんだかしっくりこないのです。
私たちはこうして肉体というエリアに入り、ある一定の期間まるで孤独のようになりますが、そうすることで、心というものを再確認している。
私はそんな風に思えてならないのです。
孤独に立ち向かう
例えばあなたには苦手な人がいます。
いつもいつも何かにつけて気に食わない、話し方も、態度も、
全て鼻につく。イラッとする(笑)
そして、やっぱりそれを当然のことのように、嫌いだ、
やっぱり嫌な人。とこう思うとします。
毎日嫌な人だということを確認している。
そうするとやっぱり嫌な人なわけです。そりゃそうだ。(笑)
心が一つの海、だとしたら…
心は繋がっているのでは?と始めに仮説を申し上げました。
嫌な人は、だれ?
あの人。嫌。もうあいつでいいや。嫌いだし。(笑)
だっていつもこう。なんで私を嫌って嫌がらせみたいなことしてくるの?
なんで?私が何をしたっていうの?
本当、嫌、嫌、嫌い。無理、ホント無理、、、、
と海に溜まっていった時には、すっかり混ざり合い
誰が嫌なのか分からない。
嫌、嫌い、無理、、、なんで嫌い?だって、、無理、
涙。
もう嫌。
自分も。
ということになります。
実際なっていますよね?
精神的に弱い人なら滅入ってしまう。
自分を愛し、人を愛し
本質は自分を愛せない、許せないことだけでは?
嫌いな、苦手な人と自分だけが上手くいかないように見えてしまう現実。
孤独。
それを受け入れられない。許せない。
自分に自信がない。
当然のように愛せない。
日本人は素晴らしい方ばかりで、ストイックに自分をいじめ、追い詰めてしまう人が多くいらっしゃいませんか?(笑)
もうやめませんか?
自分を愛すとか、好きとか、それ自体に抵抗があるのですよね。
なんかありえない、キモイ?と感じ、謙虚な心とは少し違う、
只々素直じゃないような(笑)
でも、それでもやっぱり自分を愛して欲しいなぁと私は思います。
いや始めからは無理だわ、という方のために、(笑)
人を励ますことで自分が元気になる不思議 心の海という仮説と題しました。
辛い時でも、まず人に会うこと。
自分を頑張って出そうとしなくていい。
聞くこと
全く悩みのない人など大抵いないもの。
何かしら、ちょっと体調が優れないとか、仕事がどうのとかありますよね(笑)
好きな人がいるとか、出来ないとかも。
そういう取り留めのないことを聴いてあげる。
”あげる”というと恩着せがましいかも?ですが、
そばにいてうなずく。
それだけで充分、人は励まされるものだと私は信じています。
何か良いことを言おうなどと思わなくても。
充分。
心の海は繋がっているからです。
心の中でそっと抱きしめるようにそばにいてくれれば、きっと充分。
言葉には限界があるから。
あなたにも私にも人を励ますことはきっとできる。
そして、それは自分を認めることに繋がるはず。
心と心とが、共鳴し合って、まあるく光り、一つの結晶のようになったそんな瞬間は、何ものにも代えがたい自分たちを知る。
人を知る。
以上、私の仮説でした。(笑)