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おとなのかいだんのぼる

いつの間にか日が昇るのも早くなり
街路樹の桜も開花して春の訪れを感じます。

春といえば出会いと別れの季節でしょうか
もう数日もすればテレビでは希望に満ちた
新一年生の入学式や、あるいは入社式
微笑ましい光景も見られるでしょう。

私は高校をでて進学せず就職しました。
右も左も分かってるふりして分からない
10代の頃、スーパーでレジ打ちや
品出しの仕事をしていたのですが
なにせ今まで学校という大半が同世代の
小さなコミュニティで過ごしていたので
自分よりひとまわり、ふたまわりも上の
人たちと仕事をするのは随分神経を
すり減らす日々でした。

何でもかんでもテキパキこなす先輩は
私からすれば雲の上の人のように見え
大人かくあるべし、私の今後の人格形成に
大きく影響したと思います。

私が勤めた頃にスーパーも形態が変わり
定休日や、19次閉店が廃止され
営業時間が伸び二交替になりました。
あの日は先輩が早出、私が遅出の日
珍しく休憩室の長椅子に先輩が寝ていて
軽く挨拶をすると、のそのそっと起き上がり
なんだか頭痛が酷いから今日は早退するわ
仕事が残ったら明日片付けるからと言って
一言二言かわして彼女は帰っていきました。

翌日先輩は来ませんでした、次の日も
そのまた次の日も、もう二度と。
あの日自宅で意識を失っているところを
家族が発見して、救急搬送されるも
クモ膜下出血で意識が戻ることはなく
帰らぬ人となりました。

私も大人の階段をのぼり、時に踏み外し
気がつけば先輩の年齢をとっくに超えた
あんなに頼もしく見えた背中なのに
同じ年齢になった時、意外とこんなもんかと
思えたのは、成長かあるいは慢心なのか
私の背中は後輩たちに同じように頼もしく
見えているかな?それともあの頃苦手に感じた
お局さんのように思われているのかな

今では人の生死も身近に溢れていて人は
生まれたら死ぬことが運命づけられている。
時間は平等ではないと自分を納得させて
聞き分けのよい大人のふりをしている
けれどそれでもさみしい。

頭の上に寿命が表示されていたらと
思う時がある、そうしたらもっと時間を
大切にできるはず












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